【横浜の名建築】当時最先端の防災設備を持った赤レンガ倉庫
ココがキニナル!
横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第14回は、赤レンガ倉庫。今年100周年を迎えたこの建物は、創建当時最先端の防災設備と洗練された機能美を兼ね備えていた。
ライター:吉澤 由美子
明治時代の終わりから大正時代のはじめにかけて造られた赤レンガ倉庫。
広大な空間の中で、空や海の青に映える赤レンガ
建築物が鉄筋コンクリート主流となる、その直前に建てられた赤レンガ倉庫は、歴史的に貴重な建築物。
今年、創建100周年を迎えた。リニューアルオープンからは、来年で10年
関東大震災や空襲、進駐軍による接収という激動の時代を越え、新港埠頭が物流機能を縮小したことで倉庫としての役目を終え、2002年にはショッピングモールとしてリニューアルオープンした。
案内してくださった横浜市港湾局港湾整備施設課の竹内憲(たけうちけん)さん
当時最先端の耐震構造
赤レンガ倉庫の歴史は、新港埠頭の「横浜税関海陸聯絡(連絡/れんらく)設備工事」によってはじまる。
1899(明治32)年、大蔵省がはじめたこの工事は、日本初の本格的な港湾設備を建設するもの。
倉庫設計者は明治時代を代表する建築家、妻木頼黄(つまきよりなか)。
馬車道にある旧横浜正金銀行(現在の神奈川県立歴史博物館)を設計した建築家だ。
1階と2~3階の窓は、上部アーチの意匠が変えてある
妻木頼黄は旧長崎奉行・妻木源三郎の長男として1859(安政6)年に生まれ、アメリカのコーネル大学建築学科を卒業。
ドイツで建築調査を行った後、大蔵省臨時建築部長として官僚建築家の頂点に君臨し、数々の官庁建築を手がけた。
2棟が平行して建っているので、窓からの眺めも楽しめる
赤レンガ倉庫は、妻木頼黄が晩年に近い50代の時に設計した。
洗練されたデザインと最先端の実用性を兼ねた機能美は時代を超えて今も色褪せない
赤レンガの1号倉庫は1913(大正3)年、2号倉庫は1911(明治44)年に竣工。
ともに3階建てで、寄棟造の建物だ。
創建当時、2つの倉庫は同じ大きさだったが、1923(大正12)年の関東大震災で1号倉庫の30%が損壊。
それにより、1号倉庫はほぼ半分の大きさに縮小された。
被災した1号倉庫は、西側が切妻屋根に
関東大震災で被害の大きかった横浜にあって、赤レンガ倉庫が大幅な損壊を免れたのは、「碇聯鉄構法(ていれんてつこうほう)」という耐震構造にあった。
これは、レンガの間に帯状の鉄板を水平に組み込んで、垂直に差し込んだ鉄棒で要所を固定していく、当時としては画期的な工法。
2号倉庫3階天井のトラス構造と寄棟の屋根は、エレガントで複雑な魅力がある
当時最先端の防災対策は、これだけではない。
各階の床は波型鉄板と2層のコンクリートの防火床構造。倉庫の中は3~4mの防火壁によっていくつかの場所にわけられ、開口部や防火壁には2重の鋼鉄製折り戸や引き戸を備え、スプリンクラーとなる非常用の水道管がはりめぐらされていた。
開口部の扉は2重の折り戸。右に内部の緑色をした扉が見える
スプリンクラーに相当する水道管は屋内部分には現存しないが、バルコニーに出るとその配管の名残を見ることができる。
バルコニーに残る水道管と消火栓