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こいの道を教えてくれる!? 立場駅近くの「湘南錦鯉センター」とは?

ココがキニナル!

市営地下鉄立場駅を降りてイトーヨーカドーの先かまくらみち沿いにある「湘南錦鯉センター」がキニナル。看板に「こいの道教えます」って書いてある。こいの道...教わってきてください(ほっけさん)

はまれぽ調査結果!

6回も結婚を経験している「湘南錦鯉センター」の店主。鯉に携わり50年、店主は上質な鯉を販売し、初心者にも鯉の道をイチからレクチャーしてくれた。

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ライター:山崎 島

ライター・山崎は、振り返ると今まで涙ばかり流す恋をしてきました。もうそんなしょっぱい思いはたくさん、今年からはしょっぱくない淡水なコイをするの!! ということで「こいの道教えます」と看板を掲げる、横浜市営地下鉄ブルーラインの立場駅近くにあるという「湘南錦鯉センター」へと行ってきた。



こいの道教えてください!!(鼻息荒め)

 

「湘南錦鯉センター」は立場駅から徒歩約4分のところにある(Googlemapより)
 

ここです
 

投稿の看板も発見!
 

入口には、がっつり「湘南錦鯉センター」の看板が立っており、投稿にある通り「こいの道教えます」と書いてある看板もある。分かりやすい。

 

門を入って右手にはコンクリート製の水槽が並ぶ
 

ここに「こいの道」を指南してくれる方がいるのか・・・なんだか緊張する。訪ねていくと只者ならぬオーラを放つ男性が出てこられた。

 

右側の男性がご店主の和久昭夫(わく・あきお)さん
 

和久さんには「湘南錦鯉センター」についてから鯉と恋について、たくさんお話をきかせてもらう。

和久さんは巳年生まれの75歳。四国の徳島県ご出身なのだそう。
「家はもともと農家をやっていて、あまり裕福ではない家庭でした。それを見かねて、鎌倉に住んでいる叔父が関東に呼んでくれたんです。それが20歳前後ですかね。叔父は鎌倉の鳩サブレで有名な豊島屋の社長で、仕事を手伝うことになりました」と昔をふり返られた。

しかし和久さんは四国の方言が強く残っていたこともあり、毎日叔父さんに注意されていたそう。耐え切れずに仕事を辞め、牛乳配達の仕事に就いたがお給料は安く、とても食べていける金額ではなかった。しばらくしてお菓子問屋に入社し、セールスマンとして働き始めた。

 

ふむふむ
 

そこで和久さんはセールスの才能を発揮。新人にして毎月成績が一番だった。上司に評価される一方、それをよく思わない同僚もいたそう。そんなある日、和久さんは体調を崩し病院へと向かったのだが、そこで偶然のような運命的な出来事が起こる。

「鎌倉の病院に向かいとぼとぼ歩いていると、突然声を掛けられ振り向くと友人でした。その友人から『ちょうどよかった!』と仕事を頼まれたんです。知り合いの頼みは断れず、連れて行かれたところは金魚問屋でした」

 

和久さんと鯉の出会いですね!?
 

そこで、1ヶ月だけ金魚問屋の社長の運転手として仕事を手伝うことになったのだが、社長に気に入られ、お菓子問屋を辞め1年働いた。その期間に問屋のノウハウを学び、次第に販売や仕入れを任せられるほどに。1年後には独立。オートバイ一つで自分の事業を始めた。

「オートバイにまたがり、横浜の分譲地を廻りました。当時の日本は高度経済成長期で、東京の人が横浜に家を建てることが流行っていました。庭に池を作る人が多く、鯉の需要がたくさんありました」

「そこで当時住んでいた借家の長屋の庭に池を作り、新潟から仕入れた鯉を育てて売りました。飛ぶように売れましたね。売れすぎて体を壊すほどでした」と和久さん。貧しかった幼少時代から、強運と縁に恵まれ、当時はサーフィンとハワイ旅行を趣味にするほど、お金を稼ぐことができるようになったという。

 

当時の様子のお話を聞く
 

戸塚で商売を始めて10年、和久さんが30代前半のときに現在の土地を購入。自宅と鯉の池を作り、浄化設備を整えた。その後も良縁を引き寄せ、商売はどんどん上り調子になった。

 

この設備は40数年使用している
 

しばらくして当時のお客さんに「鯉の品評会の全国大会に出てみないか」と誘われた。それまで和久さんは、鯉を生業にはしていたが独学だったため、その良し悪しは分からなかったのだが、全国大会に出たことによって自分の鯉は質の良い鯉ではないことを知った。

和久さんはいろいろ試行錯誤し、良い鯉がいるという新潟と広島の鯉の生産者を訪ねた。どちらも歴史ある養鯉場の「大日養鯉場」と「阪井養魚場」である。駆け出しの和久さんは始めは相手にされなかったが、その情熱と持ち前の気前の良さにより、徐々に生産者の心を掴んだ。

 

水槽の上には過去に大会で優勝している鯉の写真がずららららららら
 

その後、和久さんは目も肥え知識も増え、信頼できる仕入れ先を手に入れて、商売は順調に大きくなっていった。バブル期は鯉一匹2000万円で取引される時代だったそうだ。しかし、時代が代わり、現在は昔からの付き合いがある常連さん達とのやり取りが主となっている。

「私の人生を人に話すと、信じてもらえないんです」というほど、びっくりするような運と縁に恵まれた和久さん。次の章では、和久さんが現在育てている鯉と、これまたびっくりな恋の遍歴について聞いてみた。