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磯子区にある「メール・ド磯子」っていったい何? 名前の由来は? 

磯子区にある「メール・ド磯子」っていったい何? 名前の由来は? 

ココがキニナル!

磯子区杉田の「メールド」と呼ばれる由来や意味は?/「メールド中」のバス停を発見。「メールド磯子」の建築協定等調べて(ねこみくさん/maniaさん)

はまれぽ調査結果!

「メール・ド磯子」は「磯子の海」という意味で1969(昭和44)年に海の見える高台の分譲地として造成され、美観にも配慮された区域だった。

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ライター:おとも尚美

今回は、磯子区杉田に「メールド」と呼ばれる場所があるというキニナル投稿。確かに、「メールド」とは聞きなれない言葉だが、この意味や由来についてキニナルところだ。

まずは、「メールド」について、磯子区役所に問い合わせると「自治会の方が詳しいでしょう」とのこと。どうやら「メールド磯子」には「まちづくりルール運営委員会」というものがあり、区域内の舵取りを行っているらしい。

早速、詳しいお話を伺いに現地へ向かった。
 


JR・シーサイドラインの新杉田駅から

 
215系統の横浜市営バスで「大谷第1公園」を目指す。
 


路線図には「メールド中」という停留所も発見

 
現地に到着すると、「メールド」と文字が入った自治会館があった。
 


「メール・ド磯子自治会館」 メールドの文字の中には点がついている

 
こちらの自治会館で「メール・ド磯子まちづくり運営委員会」の、委員長の橋浦利男(はしうら・としお)さん、委員会の林一郎(はやし・いちろう)さん、竹田美喜雄(たけだ・みきお)さん、小宮山博子(こみやま・ひろこ)さんの4名にお集りいただきお話を伺った。残念ながらお写真はNG。

「メール・ド磯子」について知りたい読者がいる旨を伝えると、皆さんとても驚かれ「えーっ! 嬉しいしびっくりです。ぜひ、みなさんにメール・ド磯子を知っていただきたいので、なんでも聞いてください」と話してくれた。
 
 
 

メール・ド磯子とは?


 
メール・ド磯子は、杉田町大谷と呼ばれていた土地が、1969(昭和44)年の行政区画により、1~9丁目に分割されて出来た7丁目(現・杉田7丁目)に誕生。

杉田7丁目は、現在は存在しない民間業者の株式会社富士工と神奈川県が宅地造成を行い、民間は一戸建てをメインにした「メール・ド磯子地区」、県は集合住宅をメインにした「大谷団地地区」として開発し、2つの地区と2つの自治会、881世帯1892人(平成29年3月31日現在)で成り立っている。
 


青枠が杉田7丁目。赤枠がメール・ド磯子地区(横浜市福祉保健センター発行 しあわせバンクより)
 

メール・ド磯子自治会の地図(メール・ド磯子まちづくり運営委員会より)

 
メール・ド磯子地区は、1970(昭和45)年から入居が開始され、翌年には自治会が発足、建築協定も締結された。まちづくり運営委員会によると、現在の人口は約800人(300世帯)で、住民の約47%が65歳以上と、磯子区でナンバーワンの高齢化率となっている。
 
 
 

メール・ドの由来って?


 
今回のキニナル投稿の「メール・ド」の意味や由来についてお話を伺ったところ、「メール・ド磯子」とは、フランス語の「ラ・メール・ド(La mer de)」を用いた「磯子の海」という意味だということが分かった。

この辺りは、丘陵地にできた宅地の印象だったが、「昔はね、京急線の東側は海だったんです。新杉田の駅もね、昔は海の中ですよ」と、竹田さんが話してくれた。根岸湾の埋め立てが開始されたのが1959(昭和34)年。新杉田駅がある場所は、昔海だったのである。

だが、メール・ド磯子地区が山の中にあることには変わりないし、なぜフランス語を用いたのだろうか。
 


1961(昭和36)年当時の磯子地区。埋め立てが始まった根岸湾と京急線(磯子区役所より)
 

青い部分は海だった
 

新杉田7丁目の高台から。赤枠が京急の線路。青枠が海
 

白い建物は大谷団地。

 
元富士工の社員でもある林さんによると、「今から約50年前、日本のサラリーマンには土地を買って家を建てるという風潮があってね、いろんな不動産会社がこぞって目新しい販売戦略を立てていたんだよ」という。

メール・ド磯子地区もその例にもれず、分譲地名称を「メール・ド磯子 四季」とし、「海が見える場所」「富士山が見える場所」「四季を楽しめる場所」をうたい文句に販売していたそうだ。

フランス語を使用した理由に関しては、今はもう富士工がないので定かではないが、と前置きしたうえで「おそらく当時はやっていたシャンソンの名曲『ラ・メール』を引用し、おしゃれな感じで売ろうと思ったのではないか」と、話してくれた。
 


「メールド中」のバス停

 
次に、キニナルにあった「メールド中」というバス停について伺うと、メール・ド磯子地区のちょうど真ん中辺りにあるから、その名が付いたのだという。

また、メール・ド磯子地区の中に「メール・ド」と名の付く物は、「メール・ド磯子自治会館」「メールド中」のバス停の2つしかないそうだ。今では、「メール・ド」を目にする機会もあまりないとのこと。

小宮山さんは「これだから、『メールドって何?』となるのも無理はないわね」と話し、皆さん楽しそうに笑われた。