磯子区にある「メール・ド磯子」っていったい何? 名前の由来は?
ココがキニナル!
磯子区杉田の「メールド」と呼ばれる由来や意味は?/「メールド中」のバス停を発見。「メールド磯子」の建築協定等調べて(ねこみくさん/maniaさん)
はまれぽ調査結果!
「メール・ド磯子」は「磯子の海」という意味で1969(昭和44)年に海の見える高台の分譲地として造成され、美観にも配慮された区域だった。
ライター:おとも尚美
建築協定について
続けて、キニナル投稿に寄せられていた「建築協定」について伺うと、「メール・ド磯子地区に住むには、建築協定に加入することが前提条件だった」という。
1970(昭和45)年10月24日に「住環境を整える」ために締結された建築協定は、「地上2階以上の建物は建ててはいけない」「長屋や共同住宅は2戸まで」など、建築物の用途・高さ・面積などに関する取り決めを守ることで街の美観を保ってきた。
建物の高さがそろった閑静な住宅街
しかし、建築協定の内容が厳しかったこともあり、時が経つにつれて加入前提だった取り決めも、うやむやになっていったそうだ。
そんな中、2011(平成23)年、建築協定エリアの隣接地に事前協議のないまま単身者向けのアパートが建てられた。建築協定適用エリア外のため、事前協議は必要ないのだが、住人の不安などを煽る形になりトラブルが発生。その2年後に建築協定の期間満了を迎えたことをきっかけに、2013(平成25)年に「地域まちづくりルール」が発足した。
「地域まちづくりルール」は、建築物だけでなく、ゴミの出し方や騒音などの生活環境にも触れる内容で、現在はメール・ド磯子地区の全世帯が加入している。
トラブルになったアパートの外観。住人は皆いい人だそう
同地区内にある「地域まちづくりルール」の立て看板
メール・ド磯子地区最初の住人
取材を進める中で、同委員会の方々が、「住宅販売時に1番乗りを狙って事務所前に泊まり込みに行った人がいる」と話してくれた。どんな方かキニナり、本人へ取材の申し込みをしたところ、快諾してくださった。
2018(平成30)年で米寿を迎えた杉野實(すぎの・みのる)さん
1969(昭和44)年、証券会社に勤めていた杉野さんは、新聞広告や友人からの勧めで杉田の分譲地を購入することに決め、最高の立地条件の土地がほしく、発売前日にボストンバックと毛布を用意して泊まり込み覚悟で現地事務所に赴いたのだそう。
富士工側にしてみれば、事務所前に泊まり込みなど前代未聞。何か起きては責任が生じると懸念し、杉野さんに「それは困ります!」と断ったそうだ。しかし、いくら断っても粘る杉野さんに困り果てた担当者は、特例として「一番札」を手渡したという。
その後、嬉しさのあまり杉野さんは、「杉田駅近くのラーメン屋さんで一人で祝杯をあげたよ」と昨日の出来事のように語ってくれた。
一番乗りで手に入れたマイホーム
杉野さんは「独り暮らしになった今では、地域の方々に支えられ、助け合いながら生活している。住み慣れた我が家でこれからも暮らしていきたい」と、今の生活を楽しんでいる様子だった。
自治会の体操に参加する杉野さん
取材を終えて
メール・ド磯子ができて約50年。いまでは高齢者が増えているが、自治会の活動は、地域住民が「関わり合い・支え合い・助け合い」ながら、より健康で、より安全で快適に、楽しく生き生きと暮らせることに尽力している。
取材日は、自治会による体操が行われていて、集まった方々の前で「元介護士」と紹介されたライター・おともは急遽「体操の先生」になることに。10分ほどの短い時間だったが、皆さんの人生に関われたことを心から嬉しく感じた。いつまでもお元気で笑顔の絶えない暮らしをしていただきたい。
-終わり-
ねこみくさん
2018年09月30日 12時22分
調べていただきありがとうございました。小学生の頃、学校の集団下校の時に「次、メールドの人たち」などと耳にしており唯一のカタカナの地名で気になっておりました。地図にも載ってないし杉田という事しかわからず、長年の謎が解かれました。
能鉄拳台さん
2018年09月26日 09時52分
駅から遠いこの地区は、いずれ少子高齢化と人口減少により、空き家だらけの街になりそう。
cranialgeeさん
2018年09月25日 07時27分
名前がちょっと気になるから、たまたまこの旧分譲地が取り上げられていますが、横浜市南部の丘陵地帯はこんな50年位前に開発、販売された住宅地が多いですね、私も親が金沢区にその頃、建売住宅を買って以来横浜市民になりました。そんな地域の多くがゴーストタウンと迄は言いませんが年寄り世帯が殆どになりかつての活気が失われていますが、メールド磯子さんは今でも自治会が活発に活動されていて、ご近所仲が良い感じが伝わって嬉しかったです。