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【横浜の名建築】横溝屋敷

ココがキニナル!

横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第26回は鶴見区獅子ヶ谷(ししがや)にある『横溝屋敷』江戸から明治にかけて農業と養蚕で栄えたこの地の文化が環境を含めて残されていた。

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ライター:吉澤 由美子

横浜市鶴見区獅子ヶ谷は市民の森がある場所。環状2号沿いのショッピングモール「トレッサ横浜」から5分程度歩いただけなのに、なんだか空気がおいしい。
 


前庭から主屋と蚕小屋を眺める。中心の木は樹齢150年を越える白加賀(しらかが)という梅


横溝屋敷は、獅子ヶ谷にある横浜市農村生活館みその公園の一部。「旧横溝住宅」の寄贈を受けた横浜市が、表門、主屋、文庫蔵、穀蔵、蚕小屋という5棟を修復し、指定文化財第1号に指定。古民家の保存と活用を図る横浜市最初の施設として、1989(平成元)年から公開しており、農村生活資料の展示も含め、江戸時代から続いた名主の暮らしを見学できる。
 


武家の一般教養だった論語や日本政記(歴史書)なども残る

 

農機具や養蚕に関する道具類の展示も充実


創建された場所にそのままのかたちで残っている横溝屋敷のような古民家は珍しい。しかも建物の材料は、このあたりの山に生えていた木だとのこと。その場所に生えていた木で作った屋敷が、今でも環境込みで同じ場所に残っているというのは本当に貴重だ。
 


案内いただいた横溝屋敷管理委員会の事務局長である新田弘子さん




治水や産業の育成などを行った 名主の横溝家

北には裏山が、東には竹林があって、夏には涼しい風が吹き抜け、冬は木枯らしを遮り陽射しが暖かい。横溝屋敷の建っている場所は、谷の入口にあって御薗(みその)とよばれる一等地。それもそのはず、横溝家は16世紀末の慶長年間から、獅子ヶ谷村の名主をつとめてきた。初代の横溝五郎兵衛(ごろべえ)から17代続いている名家だ。
 


蚕小屋の横にある竹林。夏は陽射しを遮り涼しい風を運ぶ


暴れ川だった鶴見川は、古来より氾濫を幾度も起こした。氾濫を起こす川は上流から肥えた土を運ぶという恵みをももたらす。鶴見川はこのあたりの土壌を肥沃にし、獅子ヶ谷は豊かな水田地帯だった。
 


昔の獅子ヶ谷をジオラマで再現したものが、主屋の2階にある


しかし水田での稲作がはじまると川の氾濫は収穫を減らす災害となる。

名主の横溝家は、単に年貢のとりまとめや、御触れ(役所が出す布告)を村民に知らせる役割を果たすだけでなく、鶴見川の氾濫を防ぐための治水整備を行い、流域を開墾して水田を作った。また、谷間にため池を作り、近隣の村と水争いのもとになっていた池を2つに分けるなど、土木事業にも貢献した。今も、二ツ池という大きな池が近くに残っている。
 


太政官(だじょうかん)の文字が見える木札。御触れを掲示して村民に知らせるのも名主の役目


明治期に入って諸外国との貿易が盛んになると、高値で取引される絹や茶にいち早く目をつけ、養蚕で高い品質の生糸(きいと:これを織ると絹になる)を作り、上質の茶を生産するようになる。近隣にも指導を行って、生糸や茶はこの地の主要産業となった。
 


前庭の隅には肥溜。もちろん、今は埋められている


治水への貢献、養蚕や茶といった産業への指導力から、江戸時代に名主だった横溝家は明治期に入ってからも近隣から尊敬を集め続けた。