横浜市会議員の荻原隆宏さんを徹底解剖
ココがキニナル!
フリーターから横浜の市会議員になった荻原隆宏さんってどんな人?
ライター:吉田 けんたろう
2007年の統一地方選挙から4年、2011年4月29日で任期満了を迎える横浜市議会議員。
その中に異色の経歴を持つ議員がいる。
フリーターから政治家に転身した荻原隆宏さんだ。
フリーターを経て市会議員になるまでの自身の半生を振り返りつつ、今年選挙権を持つ新成人へメッセージを語ってくれた。
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ミュージシャンの夢を諦め、自分を探す日々
─フリーターはどれくらいの期間やっていたのですか?
大学卒業から議員になるまでアルバイトだったり、正社員だったりしたので、正確には言えませんが、10年くらいやっていました。
─ミュージシャンを目指していたということですが?
将来は音楽で生計を立てたいと考えていましたが、大学在学中にその目処が立たず、親を悲しませたくなかったので就職しました。ところが阪神淡路大震災で被災し、『世の中は簡単に壊れてしまう』ってことを体感したんです。これはいかんと、再び夢に向かって歩み始め、アルバイトをしながら音楽修行の日々。最終的に目指していたのは、森山直太朗さんのようなシンガーです。
議員になっても音楽を愛する姿勢は変わらない
─議員を目指したきっかけを教えてください。
30歳になってダメなら諦めよう。音楽を志す際、そう決めていました。自分の失敗から目を逸らしてはならないし、だらだらしがみ付いているのは音楽に失礼だと考えたからです。そんなわけで、スタジオに勤務していた28歳の時に先が見えてしまい、音楽はきっぱり諦めました。それからは職探しの日々。ある時、民主党の衆議院議員が若い秘書を探しているという話を頂きました。実は、それまで全く政治には興味がなかったんです(笑)けれど、その時は自分の中で光が見えた気がしたんですね。
─政治に興味を持った理由は?
子どもの頃、親の仕事の関係でイギリスに住んでいたことがありました。ちょうどフォークランド紛争の時期だったんですが、歴史を学び当時を振り返ると、やはり政治が大きく影響しています。社会全体に政治が影響を与え、それは音楽にも文学にも作用する。音楽をやっていた頃は世界平和を日本から発信できるアーティストを目指していました。アプローチは違えど、政治の世界もそこに繋がっていると感じたんですね。だから秘書と聞いて、なにか縁があるかもしれないと、そう思ったんです。
横浜の好きな場所は根岸の森林公園だとか
─政治家の秘書を経験して感じたことは?
議員会館に居た1年は濃密でした。政治の動き、ここで決まって、こう動いてというのを目の当たりにするんです。国会は雲の上の話ではありません。議員にしても、民間の社会人と同じでパーフェクトな人はいないし、弱い人もたくさんいる。みんな普通のおっちゃんですよ。歴史を作ってきたのはこういう人たちなんだと実感しました。ただ、その1年で一番感じたのは、自分は傍観者だということでした。
─自分が立候補しようと思ったきっかけは?
秘書になって約1年後、勤務していた事務所の代議士が総選挙で落選。その結果、引退してしまい、私は一般の社会人に戻りました。一度は光が見えたのに、また悶々とした日々の繰り返しです。そんな生活の中で考えたのは、『自分が世の中を憂うのであれば、オマエ自身がやってみろ!自分が世の中を変える努力をしてはじめて、文句を言う権利がある』ということです。こうして自分なりに答えを見つけ、2007年の地方選挙に立候補する決心がついたんです。
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