あの頃のようにまた彼と演奏を
リョージ(48)
高校の同窓会で30年ぶりに故郷の奈良に帰り、もうすっかり当時の面影なんてない同級生たちと旧交を温めました。昨年末のことです。
大学進学で上京し、以来ずっと横浜市に住んでいる私にとって、故郷の思い出はすなわち、高校時代に凝縮されています。自分でも驚くほど当時の記憶は色褪せることなく、昔の仲間たちと思い出話に花が咲きました。
あの頃、私は音楽に熱中していました。友人とバンドを組み、本気でプロになることを目指し、夜な夜な大和川の河川敷で夢を語り合いました。ベースを担当するメンバーの技術に不満で、やる気があるのかと咎めて何度も衝突し、時には殴り合いの喧嘩までしました。高校卒業とともに解散するまで、よくぞ続いたものだと思います。
実は当時私が使っていたギターは、彼から譲り受けたものです。元々彼の兄が使っていた真っ赤なフェンダーで、そのかっこよさに惚れて頼み込んで譲ってもらいました。今でも我が家にあります。
同窓会に彼は来ませんでした。でも、あの濃厚な時間をともに過ごした彼と当時のように再び演奏したくなった私は、仲間から彼の連絡先を教えてもらいました。真っ赤なフェンダーを片手に、これから彼に連絡してみます。
大学進学で上京し、以来ずっと横浜市に住んでいる私にとって、故郷の思い出はすなわち、高校時代に凝縮されています。自分でも驚くほど当時の記憶は色褪せることなく、昔の仲間たちと思い出話に花が咲きました。
あの頃、私は音楽に熱中していました。友人とバンドを組み、本気でプロになることを目指し、夜な夜な大和川の河川敷で夢を語り合いました。ベースを担当するメンバーの技術に不満で、やる気があるのかと咎めて何度も衝突し、時には殴り合いの喧嘩までしました。高校卒業とともに解散するまで、よくぞ続いたものだと思います。
実は当時私が使っていたギターは、彼から譲り受けたものです。元々彼の兄が使っていた真っ赤なフェンダーで、そのかっこよさに惚れて頼み込んで譲ってもらいました。今でも我が家にあります。
同窓会に彼は来ませんでした。でも、あの濃厚な時間をともに過ごした彼と当時のように再び演奏したくなった私は、仲間から彼の連絡先を教えてもらいました。真っ赤なフェンダーを片手に、これから彼に連絡してみます。