諸説ある鎌倉の地名の由来とは?
ココがキニナル!
横浜と川崎の地名の由来、興味深く読ませていただいました。そこで「鎌倉」は?と考えたのですが、予想不可能です。いろいろな説があると思いますが、調べていただけませんでしょうか。(河童丸さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
地形に由来する説、伝説に由来する説、あるいは転訛に由来する説など、諸説あるが、鎌倉の由来をしめす確証的な説はなかった。
ライター:ほしば あずみ
夜の鎌倉でリサーチから
「鎌倉は、なぜ鎌倉という地名になったのか」。まずは地元・鎌倉の人たちが由来を知っているか、あるいはどのように考えているかを知るべく、JR鎌倉駅からほど近い場所にある夜な夜な地元の人々が集う、とある酒場を訪ねてリサーチしてみた。
まずは仕事帰りのボブさん(仮名・40代)
「う~ん、何か聞いたことがある気がするなあ。たぶん、鎌倉の地形が、鎌の刃みたいな形だったとかじゃないかな。倉はわからない」
ほろ酔いの地元音楽仲間3人組は・・・
「頼朝が、幕府を置くのにふさわしい地形だと思ったんだよ、三方山で、海があって・・・」
「由来を聞いてるんだって。なんで鎌倉なのか」
「え? 鎌倉って、頼朝が来る前から鎌倉っていう地名なの?」
後ろ姿の常連、ヒトコさん(仮名・30代)
「鎌っていうと・・・農民がいっぱいいたから、かな?」
また、お店のスタッフ、チカさんは「鎌を保管する倉があったんだと思う!」、同じくお店のスタッフ、シホさんは「えっとね、誰かが鎌を埋めたんだよ。誰だっけ、鎌足?」
・・・というわけで、鎌倉がなぜ鎌倉なのか、地元でもあまり知られていないようだ。夜の鎌倉の、ちょっとしたほろ酔いの雰囲気を味わったところで実際のところはどうなのか。鎌倉のいわゆるご当地検定、「鎌倉検定」3級合格の、この人が答えた。
ちなみに2級は申し込み締切日を間違え、受験できなかったライター・干場
「鎌倉という地名の由来は、諸説あって定まっていません。実はシホさんの『鎌足が鎌を埋めた』説はそのひとつです。鎌倉市の小学生の副読本である『かまくら子ども風土記』や、鎌倉検定の公式テキストブックなどにも紹介されている代表的なものをいくつかご紹介しましょう」
鎌倉検定公式テキストブックと、子ども向け郷土資料『かまくら子ども風土記』
まずは、地形に由来する説。「かまくら」の「かま」は「かまど」を意味し、「くら」は谷を意味する。三方を山に囲まれ、南が海に面している地形がかまどに似ていて、倉のように一方だけ口が開いているからだという。明治時代の歴史家、吉田東伍の『大日本地名辞書』が平安時代の辞書『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)などを引用してとなえている説である。
三方を山に囲まれ、一方が海に面した鎌倉の地形(Google Mapより)
そのほか、滋賀県大津市の比叡山(ひえいざん)にも「神倉」、「神庫(かみくら)」が転訛したものとされる鎌倉という地があり、鎌倉にも同様に神庫と呼ばれるものがどこかにあったのではないかという説を、江戸時代末期の歴史家、黒川春村が『碩鼠漫筆』(せきそまんぴつ)でとなえている。
あるいは、蒲(がま)という植物がいっぱい生えていたからという説、また、鎌倉の近い高座郡が昔は、高倉(たかくら)、または高麗(こま)と呼ばれていたので『こまくら』が転訛した、アイヌ語に由来する、という説もある。
滋賀県大津市と京都市左京区の境にある鎌倉山
諸説ある中でも、いつからか伝わった伝説的な由来が二つあり、一つは「日本初代の天皇、神武天皇が東夷(あずまえびす)を征服しようと毒矢を放ち、1万人が死んだ。その屍(しかばね)が山のように積み上がり、『かばねくら』が転訛して『かまくら』になった」というもの。
もう一つが、「藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が鎌倉に泊まった際に霊夢を見て、持ち歩いている鎌を埋めたところから『かまくら』になった」という説だ。
「大化の改新」で活躍した、中大兄皇子(天智天皇)の腹心、藤原鎌足
いずれの説も、確証的な由来を示す資料はなく、はっきりしたことはわからない。
しかし、「諸説あります。詳しいことははっきりしません」という調査結果では、この記事が単なる鎌倉の酔客の紹介で終わってしまう。もう少し掘り下げて、鎌倉という地名の由来を追ってみよう。