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中区「吉田町」にはなぜバーが多い? 戦後からの歴史を紐解く!

ココがキニナル!

吉田町界隈にはやたらとBarが多いですがなぜなのでしょう? ついでに美味しいお店も紹介してください。(トムわかさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

近年、おしゃれなバーが建ち並ぶ街として人気上昇中の吉田町。その街づくりの背景には、地元町内会の強い“地元愛”があった!

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ライター:大野 ルミコ

「吉田町の歴史を探りに行きましょう!」と、編集部・山岸から話が来た時、筆者がまず思ったのは「いいけど・・・吉田町ってドコ?」だった。

聞けば、吉田町は関内駅からすぐ、伊勢佐木町と野毛の間に広がるエリアだという。しかも近年は、近辺におしゃれなバーがいくつも誕生し、「バーのある街」として注目を集めているというではないか!
  


バー発祥の地、横浜
   

千葉生まれ・都内在住の筆者にとっては全くの「未知の街」ではあるが、横浜のバー・・・それはかなりキニナル。そもそも、なぜ吉田町にバーが集結することになったのか。まずはその「?」を解決すべく、早速現地へと向かった。
 


昼間はまるでシャッター街!? 吉田町の歴史を紐解く!


 
ということでやってきた吉田町。到着したのがお昼過ぎということもあり、ほとんどのバーは営業時間前。当然、街のメインストリートはこんな感じ。
  


店のシャッターも閉まり、人影もまばら・・・。ちょっと寂しい雰囲気だ
 

ここが「バーのある街」とは知らず、以前も昼過ぎにこの道を歩き「店も何もない場所だな」と思ったことを思い出した。

でも改めてよく見ると・・・
 


閉じたシャッターの上に、バーの看板が掲げられていたりする
 

ランチタイムから営業し、にぎわうダイニングバーも見かけた
 

今回、この吉田町の「歴史」について語ってくださったのは、吉田町町内会の会長である今井大(いまい・まもる)さんと、副会長の吉田和正(よしだ・かずまさ)さん。今井さんは、創業53年、1963(昭和38)年から吉田町で営業を続ける老舗そば店「角清」の先代店主でもある。
 


今井さん(右)と不動産店を営む吉田さん。ご協力ありがとうございます!
 

「明治以降、吉田町は古布や古着を扱う店が集まる街だったようです」と話し始めた今井さん。このあたりは第二次世界大戦によって焼け野原となった後、昭和20年代に米軍の接収地へ。兵舎が建ち、周辺には小さな商店が並んでいたという。
  


1953(昭和28)年ごろの吉田橋
 

「当時は、言い方は悪いけど、古くてひなびた感じの店が多かったね。あとは、米軍の制服を扱うからか、クリーニング店が多かったのを覚えているよ」と懐かしそうに振り返る。
 


この街で生まれ育った今井さん。街の変遷を見守り続けてきた
 

そんな吉田町に変化が現れたのは、接収が解除された昭和30年代。米軍の兵舎だった建物は壊され、跡地には1~2階が店舗、3~4階以上が住居という、いわゆる「下駄ばき住居」がいくつも建てられた。

「1~2階には、洋服や、靴、日用品などの小さな店が次々にオープンしてね・・・」と語る今井さん。都橋から吉田町に入るメインストリート(吉田町本通り)には、大きなアーチもかけられ、小売店や飲食店がズラリと並んでいたという。
 


アーケードがかかる昭和40年ごろの吉田町名店街(提供:吉田町町内会)
 

見事なアーチ! 「吉田町第三共同ビル」は今もそのまま建物が残る(提供:吉田町町内会)
 

こちらが同じ場所から撮影した現在の姿。ここにアーチがかかっていたとは・・・
 

しかし、平成を迎えるころにはこうした「下駄ばき住宅」も老朽化。また各小売店も大型スーパーなどに客足を取られ、街はすっかり寂しい雰囲気に。こうした現状に今井さんは、「若者が集まる街にしなければ!」との危機感を抱いていたのだとか。
 


「吉田町名店街を変えていきたい!」そんな想いが今井さんの中にあったという
 

そんな時、20代の若者が元・喫茶店だった場所を貸してほしいと、貸主である今井さんの元を訪ねてくる。聞けば、その場所に「カフェバーを開きたい」のだと。

周囲は馬車道や伊勢佐木町、そして野毛といった繁華街ばかり。若者もほとんどいない吉田町にバーなんて・・・と、さすがの今井さんも「大丈夫なのだろうか?」と不安を感じたという。でも「その若者の“挑戦”を応援する意味でOKを出した」とも。
 


その時、今井さんを訪ねたのが、「Poz Dining(ポズダイニング)」の先代店主だという
 

今井さんの不安をよそに、オープンした「Poz Dining」は連日大盛況。落ち着いた雰囲気の中でお酒を楽しみたいという人や、周辺の飲食店で働く女性たちが“気がねなく立ち寄れる店”として評判となり、多くの若者が集まるスポットへと成長していった。

そこで今井さんは、周辺のビルや店舗を管理する、吉田さんたち不動産店や地主に、「20坪以上あるような広い店舗スペースは2つに区切って貸し出す」などして、賃料をできる限り抑えることを提案。その結果、「独立して店を開きたい」と考える若者たちが次々に吉田町へと集まり、今のような「バーの街」へと成長、現在では250メートルほどの通りに50店舗以上のバーがあるという。
 


現在の吉田町の姿があるのも、地元町内会・商店街の尽力によってなのだ
 

イベントも多く開催され、町内会や商店街が一体となり、春は「アート&ジャズフェスティバル」、夏は「吉田まちじゅうビアガーデン」、秋は「ハロウィン」と、季節ごとのにぎわいも作られている。「こうしたイベントの運営にもやはり若い人の力が欠かせない」と今井さん。

吉田さんも「7月30日の『吉田まちじゅうビアガーデン』から10月31日まで、初の試みとして、“バーの街”吉田町名店街の各店舗が“オリジナルモヒート”の味を競うコンテストも行います。こうした企画は、若い人じゃないと出てこないと思うんですよ」と笑う。
  


春の「アート&JAZZフェスティバル」は10年以上続く恒例行事(提供:吉田町町内会)
 

今年の「吉田まちじゅうビアガーデン」は7月30日(土)、8月27日(土)の2回開催!
 

「吉田町オリジナルモヒートコンテスト」では投票により「ナンバーワンモヒート」を決め、そのレシピを使ったカクテルを「吉田町モヒート」として販売。元町などほかのエリアでもオリジナルモヒートをつくり、まとめて「横浜モヒート」という総称で呼ばれるように普及させる試みだという。

若者の力も重要かもしれないけれど、街や時代の変化を見据え、若者たちの意見を柔軟に受け入れ、時に経験を元にしたアドバイスを送る――今井さんや吉田さんのような“大人”がいることも、この街の強みなのではないかと感じた。