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横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

廃墟の個人マリーナ? 東神奈川付近、怪しさ満点の看板の正体は?

ココがキニナル!

首都高横羽線東神奈川付近から見える「萩原龍記念マリーナ」がキニナル。ボロボロの建物。屋根の上の船。萩原龍さんって誰?怪しさ満点。それよりも看板に”明治37年4月7日生”と書いてある。(ほっけさん)

はまれぽ調査結果!

海が好きだった故・萩原龍氏の記念碑として作られたマリーナ。屋上に置かれた船や建物の劣化はバブル崩壊以降、開店休業状態が続いているため。

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ライター:細野 誠治

これは何、なぜ? そして誰? 謎だらけのキニナル



実は過去、知り合いの作家御大(ソー〇へ行け的な大先生)に「船を買え!」とソソのかされ(もちろん買えるワケがない)、船の値段とかマリーナの係留代とかを調べたことがありまして・・・。

お金かかるんですよ、本当に(もちろん買えるワケがない、いやマジで)。
それがボロボロ? 自分の知っているマリーナ像と大きく違う。一体どうして?

元々、海とか船とか大好物なもので、今回のキニナル、非常に楽しみ!

投稿には“首都高横羽線・東神奈川付近”とある。まずは場所を特定しよう。

 

横羽線に沿う京急線「神奈川新町」から「仲木戸」間を当たる
 

第一京浜を越え、平行に走る入江川の向こう側に横羽線が横たわる
 

川沿いに歩きながら建物の屋上にあると思しい看板を探す。

 

すると、あるビルの屋上に船が!
 

間違いなく船!
 

近づいてみるとビンゴ。

 

投稿の名称と同じ「萩原龍記念マリーナ」とある
 

窓やシャッターは施錠され、声をかけるも返事はない・・・(廃墟だろうか?)
 

(うーーん、確かにボロボロだ・・・)
場所は確定できた。が、“明治37年4月7日生”の記述がない。横羽線側に向けたと思われる看板が見えない(首都高からしか見えないようだ)。

 

ならばタクシーに乗って確認しよう
 

仲木戸駅前でタクシーを設え、趣旨を説明して首都高速へ(看板について運転手さんに聞くも“知らない”とのこと)。
そして走ること、しばらく・・・。

 

あった!
 

拡大したものを。生年月日の記述を確認!
 

確かに投稿の通りに生年月日の記述が。実際に目にすると確かにキニナル。
ボロボロだし(看板の一部は剥がれ落ちてしまっている)「萩原龍って誰だよ?」だし「どうして生年月日書いてあるのよ?」とか、屋上に船あるのはナゼって思う。

ここは真正面から連絡先に問い合わせてみよう。



横浜の海で働いた男、かつての東京湾の海運を担った男



看板にある電話番号に問い合わせると、キニナルの現地から少し離れた場所を指定される。神奈川新町のすぐ近く。オーナーは第一京浜沿いのビルにいるという。

 

第一京浜にかかる歩道橋そばの観音ビル
 

1階部分にはキニナル投稿と同じ「萩原龍」の文字を冠した社名が。その名も「萩原龍サービス」。お話を伺っていこう。

 

代表取締役の萩原毅魄(はぎわら・たけしろ)氏。73歳
 

まず、こちらの「萩原龍サービス」は自動車整備を行っている会社だそうで(古くからの常連さんの車を整備している程度とか)。

ではキニナルの諸々の謎は、どうなっているのだろうか。

まずは名前から。「萩原龍って誰なんでしょうか?」

「それは俺の親父だね。萩原龍(はぎわら・りゅう)。本当の名前は“萩原龍治(はぎわら・りゅうじ)”なんだけど。龍治じゃカッコ悪い、龍にしようってことで名前を変えたんだよ。占いとか姓名判断とか、そんなのを参考したみたいよ」

龍じゃなくて本当は龍治!(龍治でもカッコイイと思うけど・・・)

「龍治さんのお顔が分かる写真を・・・」とお願いすると1枚の絵画が。写真を探していただきましたが見つからず肖像画で。

 

こちらが萩原龍(龍治)さん。こちらの絵、本当によく似ているそうです
 

そんな、龍さん(龍治じゃなくて龍でいいよね?)。
生まれは看板の通り1904(明治37)年。ご存命なら今年で112歳だが、2003(平成15)年の99歳のときに大往生。

元々、米屋を営んでいた(当時の店の屋号は『龍治商店』。後に『龍商店』に)そうで、その後、海運業へ。

「昔は東京港には大きい船が(桟橋に)着けられないから、横浜港に着けていたんだよ。それで届いた船荷を東京港に運ぶため、小さい船で横浜から送る海運をやってたの」と毅魄さん。

おぉ! 横浜の海の男だ。

海運業ということで、自前で船のエンジンを直すべく鉄工所を創業。元の米屋とともに鉄工所は毅魄さんのお兄さんが継ぎ、毅魄さん自身は1967(昭和42)年に自動車修理工場を興す。
海運業は東京の港が整備されたために畳んだそうだ。

 

毅魄さんのご兄弟と。前列右が毅魄さん
 

この場所で大きく事業を展開していた萩原龍さん。マリーナを作るきっかけは?

「昔、ある船の輸入業者が仕入れたボートを係留させてくれって来たの。その会社が、結構な額をくれたのよ。それで“あぁ船って儲かるんだな”って思ったのが始まりよ」

 

船って儲かるのかも・・・
 

「それで1990(平成2)年ごろ、あの場所にマリーナ(ビル)を建てたの。で、建ててすぐに景気が悪くなっちゃった(バブル崩壊)・・・」

 

名前や生年月日は、父親の記念碑としてだそうです
 

できた当時、生きてるのに「記念マリーナはオカシイだろ」と散々言われたとか。

—では、ボロボロなのはナゼでしょう?
「もう商売っ気もないしね。それにビルの中には、金が払えなくなって逃げた客の船が置きっ放しなんだよ」

何と! バブル崩壊により、今まで係留していた船のオーナーが音信不通となり預けていた船がそのまま残されている!
(現在、1階に2艇、2階にも2艇、屋上に4艇の計8艇がある)

 

なんともヒドイ話じゃないか
 

不良債権化した船がビル内部で眠り、またバブル崩壊以降の不景気により船を係留したいという人間が減ったため、現在は開店休業状態が続いているそうだ。
(唯一、1名だけが現在も利用をしており独占状態とも)

—もう募集はしないんでしょうか? 看板を見て訪れたり・・・。
「看板を見て来るのは結構いるよ。でももう商売っ気もないしさ。もう細々とでいいんだよ。どうしても係留したかったら俺の面接を通らなきゃダメだな・・・(笑)」

実は現在も船を係留したいボートオーナーを募集中(!)だそうです。船をお持ちの、はまれぽ読者の皆さま、いかがでしょう?

問い合わせは萩原龍記念マリーナ、または萩原龍サービスまで。
(「ヒミツ」という条件付きで月の係留代を聞きましたが非常に安いです。というか細野が知る限り最安値でした)