かつて金沢区の金沢沖に空港建設計画があったって本当?
ココがキニナル!
昭和60年くらいに海の公園の金沢沖に空港を作る構想があったと記憶しています。あの構想はどんな理由で消えてしまったのかキニナルので調査お願いします。(浜っ子五代目さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
中ノ瀬は将来の航空需要のためにあがった「首都圏第三空港構想」の候補地だった。結果的に羽田空港の再拡張案に優位性があり、中ノ瀬案はなくなった
ライター:小方 サダオ
金沢沖に計画された空港建設
今回のキニナル投稿は、1985(昭和60)年ごろに金沢区の海の公園近く、金沢沖に空港が出来る計画があったというもの。
過去に横浜市に空港ができる可能性があったのだろうか? その計画について調査した。
海の公園がある場所(青矢印)(Googlemapより)
海の公園の沖には横浜・八景島シーパラダイスがある。
シーパラ内の白い三角形の水族館が目立つ
八景島シーパラダイスは埋め立てによって作られた人工島の八景島に建設されたものであるが、その八景島を作る際に「空港にする計画」があったのではないか? ・・・などと想像しながら、海の公園近くに古くから住む人に空港について話を伺うと「八景島の建設とは別の時期に、金沢空港の構想がありました」と話してくれた。また別の住人からも「金沢区の沖、東京湾上に空港構想がありましたね」との声があった。
そこでインターネットで調べると、その空港建設の計画とは「首都圏第三空港構想」という名称であることが分かった。
これは、首都圏の空港の航空需要の増加から、その能力の限界に達することが予測され、将来の航空需要の増大に対応するため、東京国際空港(羽田空港)や成田国際空港(成田空港)の両空港を補完する第3の空港を建設しようという構想である。
首都圏の第3の空港を建設することが目的だった(提供:日本空港ビルデング)
神奈川県のホームページには、国の施策として、1967(昭和42)年から空港整備事業の5ヶ年計画が始まったとある。
その第6次となる「第六次空港整備五箇年計画」が1991(平成3)年11月に閣議決定。同年に新規空港の設置や既存空港などの活用について調査する「首都圏空港調査」が行われたという。
1996(平成8)年の「第7次空港整備五箇年計画」では、首都圏第三空港は海上を中心とした新たな拠点空港として建設する方針となった。また、2000(平成12)年9月には、政府が「首都圏第三空港調査検討会」を設け、九十九里沖、木更津沖など、候補地の地元からの提案などを集約しながら立地の優劣を検討することとなる。
海上を中心とした拠点空港建設の計画があった
15団体から16候補地の提案があったが、そのうち、以下表の5件が神奈川県内の候補地だった。
神奈川県内の候補地
上表の番号と一致している候補地の場所。青丸が「中ノ瀬」
どんな空港案があった?
まず、三浦半島地域空港研究会・横須賀金田湾海上空港研究会が、神奈川県の横須賀金田湾に提案していたのは、水深50~80メートルほどある沖合約5kmの海上に計画された。
滑走路部分は空港島(セミサブ式メガフロート)、ターミナル施設部は前島(埋立もしくは桟橋方式)とある。
横須賀金田湾沖の提案
上記の空港島(以下、メガフロート)とは、「巨大人工浮島」ともいわれる海上に浮かべる構造物のことを指す。
メガフロートの内部構造の一例
同研究会の提案は、このメガフロートを沖合に設置し、ターミナル施設を埋め立てもしくは陸上から桟橋を設置する形で建設するというものだった。
実証実験のために、横須賀市沖で建造されたメガフロート
羽田空港拡張案に対してもメガフロートを使用した浮体空港の提案があった
続いて、ワイ・ワット(Y-WATT)・グループが提案したのは、羽田空港にも近い、東京湾内の川崎・横浜沖が候補地。扇島沖1~7kmの海上に埋め立て方式で空港を建設するというものだった。
東京湾内、川崎・横浜沖で提案されたもの。青矢印が空港予定地
「川崎・横浜沖提案」のおおよその場所(青枠)。羽田空港の近く(Googlemapより)
そして投稿の金沢沖にあたる場所が、横浜商工会議所によって提案された「中ノ瀬」。南本牧から、水深20メートルほどある南東4kmの海上に3000メートルの滑走路を1本設置するという計画である。
青線の場所が中ノ瀬
首都圏第三空港と中ノ瀬案について、『東京・都市圏・日本はこう変わる 「都市戦略」の時代がやってきた(矢田晶紀著)』の中で著者は、新空港が地域活性の起爆剤になることを指摘。ただ、一方で、それぞれの提案には問題があるとしている。
その中で、中ノ瀬案については、「船舶往来の激しい東京湾の中央部、湾内屈指の好漁場であることから漁業補償問題などが難点」と書かれていた。
好漁場という中ノ瀬(緑矢印)。ちなみに海の公園は青矢印
そして最終的には、2000(平成12)年9月から国土交通省で開かれた「首都圏第三空港調査検討会」で、羽田空港の再拡張案と公募により提案された15の候補について検討した結果、羽田空港を再拡張した方が旅客の利便性やコスト面からも優位であると結論づけた。
「羽田優先」の結果、再拡張案で作られたD滑走路(青矢印)
一方、首都圏第三空港については、計画がなくなったわけではない。将来の国際・国内航空需要を考慮すると、いずれ首都圏の空港容量が不足することが考えられるため、長期的な視点に立って、引き続き調査検討を行っているとのことだ。
また、国土交通省のホームページには、首都圏第三空港構想が進む中、2004(平成16)年2月に神奈川県などから提案があった、羽田空港と川崎市を橋で結ぶ「羽田連絡道路」を整備して、羽田空港再拡張のメリットを神奈川県に引きこもうとする「神奈川口構想」について、検討を進めたともある。
羽田空港と川崎市を連絡道路で結ぶ提案
当時、「神奈川口構想」として羽田空港の再拡張・国際化の整備事業に対して、2005(平成17)年度より数年間にわたって神奈川県・横浜市・川崎市はそれぞれ100億円の資金協力を行っていた。その対価として「羽田連絡道路」の整備を要求していた。
神奈川県の空港保有の願いから生まれた「神奈川口構想」
後述するように、神奈川県の空港保有に対する意欲を感じさせる提案と言える。