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横浜市内18区の区名の由来Ⅱ【戦前・戦後編】

ココがキニナル!

横浜市内18区の区名の由来を教えて下さい(KZさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

今回は、昭和10年代から20年代に作られた港北区、戸塚区、南区、西区、金沢区の由来をお届け!

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ライター:田中 大輔

できたころは南にあった? 南区の由来



ここからはシンプルな名前の区が2つ続く。まずは南区。
1943(昭和18)年12月1日に中区から分割してできた区だ。名前の由来は「分割元だった中区の南側にあるから」。

そのままの由来なのだが、地図を見るとなにか不自然。
 


当然、南は下。でも、南区は中区の左に


どう見ても南区は中区の南にはないのだ。見ての通り、中区の西側に広がっている。
これについて横浜市民局に問い合わせてみると、当時は現在の西区も中区の一部で、そこを含めて見ると南側に当たるので、というお答え。

南区住民は「南区が中区の南にない」ことに疑問を持たないのだろうか?そこで弘明寺駅周辺で地元の人に話を聞いてみたが「別にそんなこだわりはない」という反応がほとんど。
 


弘明寺駅前で立ち飲み屋を経営する青木さん


なんとなくスッキリしないが、日常生活では影響はないので皆さん気にしない様子だ。

ところで、
1943(昭和18)年と言えば、太平洋戦争の真っ最中。非常時にそんなことをすればかえって混乱が起きるように思うのだが。
 


弘明寺商店街は、南区を象徴する場所のひとつ


その答えは『南区の歴史』(南区の歴史発刊実行委員会)に書かれた同年7月27日の市会議事録にあった。
平たく説明すると、中区の人口が増え過ぎ、物資の配給などにも支障が出始めている。また、警察の管轄と区割が一致していないという問題点もあるので分区しよう、という内容だ。

戦争中なのに、ではなく、戦争中だからこそ行われた分区だったという背景があったのだ。
(詳しくは「中区花咲町、西区花咲町。なぜ分かれているの?」でも紹介している)




中区から別れた南区の兄弟分 西区の由来



西区は、南区設置から4か月後の1944(昭和19)年4月1日に中区から分区して作られた。

南区がそうだったように、こちらも戦争とのかかわりが深かったのだろう。
『西区史』にも、中区と西区の人口を分散させることで、空襲時などにお互いの力を十分に発揮できる、と当時の市会での発言を載せている。
 


ランドマークタワーの70階から見晴らす西区


しかし、実はそれよりも前から、住民からは分区の要望が出されていた。
1933(昭和8)年6月20日の神奈川新聞には「戸部区を新設せよ」という見出しが躍ったそうだ。
南区同様に警察の管轄と区割りが一致していなかったことを受けて住民が声を上げたもので、戸部署管内の町を新たに戸部区、または港西区として独立させよという内容だ。
 


西区の成り立ちを教えてくれた西区区政推進課の島田さん(左)と相馬さん


西区の名前は、中区の西だから、と説明されることがほとんどだが、『西区の今昔』(西区観光協会)には、南区に対し横浜市の西部に位するので西区、と書かれている。
また、港西区という要望があったことから、“港の西”という意味合いもあったのかもしれないと想像できる。

ちなみに、中区と西区の境はけっこう複雑で、「中区花咲町、西区花咲町。なぜ分かれているの?」でも取り上げた通り。
それ以外にも、桜木町の1~3丁目は中区、4~7丁目は西区になっている(桜木町駅は中区)し、野毛町は中区だが、野毛山動物園のある野毛山公園は西区。

先述の、西区ができることが分かりながら南区と名付けてしまった件も含め、戦争中にバタバタと新しい区を作った際の混乱を感じさせる線引きになっているようだ。




鉄の取れる川 金沢区の由来



今回のトリを飾るのは金沢区。
戦争が終わった後、1948(昭和23)年5月15日に磯子区の一部から新設されたのが始まりだ。
金沢という地名自体は古いもので、文献が残っている中では1258(正嘉2)年のものが最古で、当時は「カネサワ」と読んだそうだ。
 


金沢区内にある駅のひとつ、金沢八景駅


その名前をそのまま区の名前にしたわけだが、ではその由来はなにか。
区役所と区民センターを通じて、金沢シティガイド協会の加藤さんを紹介してもらい、取材をお願いした。
 


この日、事務所にいたシティガイド協会のみなさん。一番左が加藤さん


昭和の歴史学者・関靖氏は『かねさわ物語』で、鎌倉時代にこの地に刀鍛冶が多く住んでいたことを指摘し、彼らが埼玉県秩父地方の金沢村から来たことに由来するかも、と推測している。

加藤さんはこの説そのものには懐疑的だが、鍛冶職人がいたのは間違いないだろうと言う。
釜利谷町の辺りでは鍛錬時に出るカスが錆びた“カナクソ”が発見されているし、六浦では製塩をしていたことから鉄製の釜が必要だったはず、と根拠を教えてくれた。

しかし、鍛冶職人がいたって鉄がなければなんにもならない。
それこそがまさに金沢区の名前の由来で、この辺りでは鉄が取れた、と加藤さん。
当時は、砂鉄を使って鍛冶が行われていたから、鉄が取れるのは川ということになる。つまり、“沢”だ。
 


駅のすぐそばに海。この海にそそぐ川から鉄が取れたのかも!?


石川県金沢市など、金沢という地名は全国にあり、その多くが鉱物と関わりが深いそうだから、この説も説得力があると言えるだろう。



取材を終えて

少し駆け足になってしまったが、これが戦前戦中戦後に設置された5区の由来。
方角を含んだ3区は、由来そのものはシンプルだが、その背景にあった歴史をひも解くとグンと面白味が増してくる。

さて、次回は1969(昭和44)年10月1日に一斉に誕生した旭区、緑区、瀬谷区、港南区の4区を予定している。引き続きお楽しみに。


―終わり―
 

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  • 保土ヶ谷区が大きかった頃を知っている世代だ。(もちろん、港北、戸塚なども分区前)落ち着いて思い出さないと、細くって全部言えないかもしれないな。白地図に区名をふれないかもしれない。

  • 横浜の変わりようには驚かされます。中区山手町に10年、西区藤棚町に3年、弘明寺に1年住んでいました。これからもどんどん発展することでしょう。

  • 元港北区民としては興味深く読ませていただきました。菊名も候補にあったとは知りませんでした!

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