青葉区青葉台には江戸時代に処刑場があった?
ココがキニナル!
青葉区の青葉台には江戸時代に処刑場があったという話ですが、真偽のほどを調べてください。気になります。(にゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
ハッキリした史料は残っていないが処刑場があった可能性はある。ただし、あったとしても江戸時代ではなく、それ以前と考えられる!
ライター:田中 大輔
郷土史研究家に聞く
ハッキリしたことを調べるべく、青葉区の山内図書館で資料のチェックと青葉区役所への電話取材を試みた。
ところが、これが不発。
図書館では処刑場について書かれた本を見つけることはできず、青葉区役所でも「区としては把握していない」という回答をもらったのみ。
青葉区は「青葉図書館」ではなく「山内図書館」
ちょっと暗礁に乗り上げかけたが、図書館で見た資料をきっかけに地元で郷土史を研究している綾部宏さんにお話を聞くことができた。
綾部さんは、定年退職をきっかけに地元の歴史を調べるようになり、本を出版したり講演会で話をしたりと活躍している人物だ。
現在のたちばな台で生まれ育ったという綾部さんも、処刑場の話について「そういう言い伝えがあるのは知ってますよ」とのこと。では、実際に処刑場はあったのだろうか。
江戸時代じゃなくて、もっと前!?
さっそく、このウワサの真偽のほどを聞いてみると、「そりゃぁ、分かんないよ」という答え。
実は、綾部さんをもってしても処刑場に関する史料は見たことがなく、あったかなかったかを断定することはできないんだそうだ。
ただし、あったとしても江戸時代というのは考えにくいと綾部さん。
そう考える理由はこうだ。
江戸時代、現在の青葉台を含む恩田村は、旗本(徳川直属の家臣で、石高1万石未満かつ御目見以上の家格を持つ武士)や幕府お抱えの医者、お寺など7人の領主が分割して治めていた土地。
旗本領だったと伝えられる青葉台は、今ではすっかり住宅街に
それぞれの土地で犯罪が起きれば、領主である旗本らが裁くことになる。しかし、その言わば裁判権には制限があったようだ。
綾部さんによれば、「コソ泥程度の小さな事件なら領主が裁くことができたでしょうけども、殺人事件だとか大きな事件になると、旗本ではなく幕府が裁いていたんです」。
つまり、大事件を起こした罪人、要するに処刑場へ送られる可能性の高い罪人は、村ではなく江戸に送られてお裁きを受けたということだ。
となれば、そういった罪人が死罪などになれば、当然処刑も江戸で行われた。
こういったことを考えると、江戸時代に旗本などが治めていた青葉台に処刑場があったと考えるのは不自然というわけ。
逆に、くらやみ坂に処刑場が存在したのは、あの辺りが幕府の直轄領だったからだ。
では、江戸時代以前にあった可能性はどうだろう。
綾部さんは「今の青葉台駅の辺りは江戸時代には“仏山田”と呼ばれていたんです。そして、あの丘は“仏山”。私の想像ですが、これらの名前から連想するとなにかしら処刑場のようなものがあったのかもしれません」と言う。
現在の青葉台駅。かつては“仏山田”と呼ばれていた!?
また、「江戸時代以降は資料が多いんですが、鎌倉時代など中世の細かな記録文書はほとんどない」そうで、逆にこのことが言い伝えという形でのみ残った処刑場の存在を感じさせるようでもある。
引き続き、情報求ム!
綾部さんが子どものころは、年配者から「仏山に近付いてはいけない」とよく言われたそうだ。
それがどういった理由かは分からないが、大昔の処刑場の存在が関係していたのかもしれない。
今回の取材では、処刑場はあったかもしれないが、江戸時代ではなく、それよりも前だった可能性が高いというところまでたどり着くことができた。
とは言え、確実な証拠は見つからず確定的な答えには至らなかった。もし、なにかご存じの方がいれば、ぜひぜひ編集部までご一報を!
―終わり―
さえどこいけさん
2019年08月15日 16時10分
青葉台で生まれて40数年。パルテ青葉台が建つ前は急斜面の丘のような地形でした。それを削って更地にしていまの建物が30年くらい前に建ちました。さらにその10年くらい前、いまSMBC日興証券がある辺りの一角は少しだけ平らな場所になっていて、そこに戸建てのちゃんこ鍋屋がありました。まだ青葉台に飲食店が少ない時代でたまに家族で行ったことがあるのですが、雨が降った後でもないのにいつも店の周囲は水たまりがあって土がぬかるんでいて、建物を建てにくい土地で有名な場所でした。そこに処刑場の噂もあって、何か関連性があるのでは?という話題はたしかにありましたよ。
マサスーンさん
2014年07月17日 05時21分
神奈川のまちBBSの神奈川の"ミステリースポットを語ろう"というスレで恩田町が怖いといううわさが出ていたが、これが理由だったかw
はまはまちゃんさん
2013年11月06日 13時21分
むか~し、この地域におよそ数百年以上前より土着している一族の末裔の方にお話を聞いたことがあります。むかしむかしのお話のようですが、現在の青葉台駅前は周辺と比較しても澄んだ小川のある豊かな土地で、周辺の恩田村とこちらの村のものだとか、いやいやこちらの村のものだとか、争いが絶えなかったそうです。結果的にこのあたりの方々が勝ったそうで、将来にわたってもう二度とこの様なことがないようにと、昔よりその地を「処刑場」として流布していったのだと聞きました。その方は同じようなところが緑区長津田の旧いぶき野(現みなみ台)にもあるとも言われていましたが、そこは大山街道が近く、旅の途中の弱った牛馬の捨て場だったのが処刑場と流布されていたようです(はまれぽを読むと何故か小学校でも教えているようなので余計に、でしょうね)。