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黒澤映画「天国と地獄」のロケ地はどうなってる?

ココがキニナル!

黒澤明監督の映画「天国と地獄」では、重要人物の住まいが浅間台と浅間町に設定されています。浅間町は<地獄>として描かれているのですが、実際にあのような光景があったのでしょうか(maniaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

ロケ当時の面影はほとんど残っていないが、住宅地図と比較して作品を観ると、写真資料よりもリアルな横浜の街並みを垣間見ることができる。

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ライター:ナリタノゾミ

「天国」に見立てられた権藤邸と、「地獄」に見立てられた竹内宅(つづき)

作中で「天国」に見立てられた権藤邸があったのは浅間台。横浜の市街地を見下ろすことのできる高台だ。
この撮影のために、「横浜の丘の上に権藤邸を一つ作ったわけ。中も全部よ」と、黒澤監督(黒澤研究会編「黒澤明」より)。
 


シャワー中に掛ってきた電話にも応じる権藤。
窓の外には横浜高島屋(昭和34年開店)や、平沼橋のガスタンクも見える


現在、権藤邸が設けられたと推測できる場所は私有地となっている。
 


現在の浅間台からの眺め。横浜高島屋や平沼橋のガスタンクが見える


ちなみに、市街地から見上げるシーンの撮影で使われていた権藤邸の外観は、南太田の丘の上に設けられた。また、カーテンを締め切った部屋のシーンの撮影は、東映のスタジオ内で行われたそうだ。
 


市街地から見上げるための権藤邸の外観が設けられた丘(南太田駅の裏手)


なお、邸宅から見下ろす横浜市街地の夜景を作り出すために膨大な数の電球をあしらったミニチュアを使ったほか、所々では実景も取り入れたそうだ。もっとも、実景では車のヘッドライトがうまく写らない。そこで、照明を持ったスタッフが車の動きを真似て、窓のはるか下を走っていたのだとか。

黒澤監督は、撮影当時を振り返り、「夕方で、向こうを自動車が走って明かりがスーッと走っている。そういうところがありますよ。それが大変なんだよね。本当の自動車のライトでは写らないんだよ」「はるか向こうにいるのを無線でもって操作しているわけ。『(スタッフに対して)何々走れ!』と言って、方々で走っているわけです」と、語っている(「黒澤明」より)。

一方で、北向きで日当たりの悪い、3畳一間のアパートが、竹内の自宅だった。窓からは、丘の上の権藤邸がよく見えた。

「私のアパートの部屋は、冬は寒くて寝られない、夏は暑くて寝られない。その3畳の部屋から見上げると、あなたの家は天国のように見えましたよ。毎日毎日見上げているうちに、だんだんあなたが憎くなってきた。しまいにはその憎悪が生きがいみたいになってきたんですよ」
浅間町4丁目278番地、日ノ出アパート12号室。これが、作中での竹内の家の住所だ。
 


木造の長屋が並ぶ住宅街の一室から、丘の上に建つ権藤邸を見つめる竹内


もっとも、実際にこのシーンの撮影が行われたのは黄金町だった。丘の下を電車が走っていることから、大岡川と京急線の間にあったいずれかの建物内で撮影されたことがうかがえる。



捜査の中で見る、昭和30年代の横浜

子どもが無事に保護されたところで、捜査に乗り出す戸倉警部ら。
社会的地位を失ってしまった権藤に同情し、昭和30年代の横浜の街を「犬になって」嗅ぎまわる。

「ホシの言い草じゃあないが、こっちから見上げると、あの屋敷はちょっと腹が立つなぁ」
捜査中の2人の刑事は、丘の上の権藤邸(浅間台にあるという設定だが、外観の撮影には南太田の丘の上の建物が使われた)を見上げながら、呟き、川沿いを歩く。
このシーンが撮影されたのは、南太田駅付近の大岡川沿いである。

作中で、川向こうに見える看板には、「横浜容器株式会社」と記載されている。昭和30年代の住宅地図を確認すると、同社は現在の「男女共同参画センター横浜南」から2軒ほど黄金町寄りに位置していた。
 


昭和30年代は大岡川沿いから南太田駅の裏にある小高い丘を見上げることができた。
川向こうには「横浜容器株式会社」の建物
 

現在の大岡川沿い。建物で視界を遮られているため、丘の上を見上げることはできない


やがて、捜査機関は、容疑者が竹内であることを特定した。
しかし、戸倉警部は「この男を捕まえてはならん」と、息巻く。竹内には共犯者殺害の疑いもあるが、現時点では物的証拠に乏しいため、殺人罪で起訴することが難しい。当時の刑法では、竹内が犯した殺人以外の罪で起訴した場合、処断される刑は最高でもせいぜい15年。その程度の刑罰では権藤が背負った苦しみに見合わないと考えたのだった。
そこで、もう少し竹内を泳がせ、証拠が得られたところで、殺人罪で逮捕する計画を打ち出す。