かつて南区六ツ川に温泉宿があったというが、当時の街の様子は?
ココがキニナル!
京急弘明寺駅から平戸桜木道路に出た所付近(六ツ川)に戦中戦後あたりに温泉宿があり、井土ケ谷界隈の芸者街からの利用のあったと聞きましたが、どのような街だったのでしょうか(しょうゆうさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
地図には温泉とあり旅館は存在したが、温泉宿という感じではなかった。周辺の様子は、街というよりは小川が流れる渓谷で、深い森に包まれていた。
ライター:永田 ミナミ
現地をあたる
奥に見える緑生い茂る山が弘明寺公園
京急弘明寺駅で下車し、急な階段を上って緑豊かな弘明寺公園を抜ける。
現在は、宅地造成されているが、かつては険しい山地であったことがうかがえる急峻な地形をGoogle Mapをこねくり回しながら歩き、どうにか中里温泉に辿り着いた。中里温泉は、鶯(うぐいす)の声と森のざわめきに包まれてひっそりと佇んでいた。
喧噪を離れた草枕的空間に期待は高まった
ここなら間違いないとインターホンを押したが、大東温泉(横浜温泉)については知らないということで、まさかの空振りだった。中里温泉旅館は医療用の保養所として作られ、鉱泉を沸かして提供しており、温泉が沸く土地ではないと思うとのことだった。残念だが仕方がない。
そこでもう1ヶ所地図上で注目していた「糸縄神社」に向かうことにした。
温泉があったとされる場所にほど近い糸縄神社に期待が高まる(Googleマップより)
糸縄神社に到着
糸縄神社にて
鳥居をくぐって社殿横に回り込むと、中から楽しそうな話し声が聞こえてきた。声をかけて取材内容を伝えると「ああ、それなら」と話の輪の中から1人の方を呼んできてくださった。
そして、ついに当時を知る人と会うことができたのである。
たまたま集会があって糸縄神社に来ていたという宮森さん
宮森さんは「確かに旅館はあったが、そこから温泉が出ていたという話は聞いたことがない。地形的にも可能性は低いので、井戸を掘って汲み上げた水を沸かして温泉としていたのかもしれない」とのことだった。
場所は現在の川崎信用金庫の裏あたりで、現在は埋め立てられ道路になっているが、そこにはかつて小川が流れ、旅館に入るための赤い小さな橋が掛かっていたそうだ。川の周辺は渓谷のようになっていて、子供の頃は魚を取って遊んだこともあったという。
社殿内にあった「大正初期の各戸の名称(1996年作成)」という手描きの地図にも温泉旅館の記載はなく、「これを作った人たちの記憶も残っていなかったんでしょう。このあたりなら定光寺と弘明寺も古いけど、すっかり世代が変わってしまっているから」とおっしゃっていた。
中央あたり「ニイヤ」宅のすぐ上あたりに旅館があったそうだ
川崎信用金庫裏の通り。駐車場の奥のがけと緩やかなカーブを描く道路が渓谷の名残を思わせる
青い線はかつて小川だった道路。赤い部分は旅館があったおおよその場所(Googleマップより)