浅野学園に熱血先生は存在するのか?
ココがキニナル!
浅野学園に、あり得ないぐらいの熱血先生がいると聞いたのですが、本当ですか?(ナインさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
熱血先生は存在した!それはバイクを乗り回す熱血バツイチ先生だった。
ライター:SAKE69
熱血先生こと大塚先生インタビュー
「どういう風に生きていくべきか」 自分で生きていく力をつけてほしい
―大塚先生が教師になりたいと思ったきっかけは?
中学3年のときの英語の先生の影響を受けて教師になりたいなと思いました。教師は一生やるに値する仕事だと。その先生は英語教師だったのですが、授業中の雑談として、「どういう風に生きていくべきか」ということを話してくださった。そして、出世や自分のことを優先するのではなく、子どものことだけを見る先生でした。今でもその先生とは年に1回は飲みにいきますね。
―教師になるきっかけとなった先生との思い出に残るようなエピソードは?
私が学級委員をやっていたクラスに不登校の生徒がいて、毎朝、その先生と一緒に迎えに行っていました。その子と特別仲がよかったわけではなかったのですが、学級委員だからってことで。結局、彼は学校には来なかったんですけど、ひとりの生徒のためにここまで動いてくれる先生がいたらいいなと思いました。
―教師として何か哲学はお持ちですか?
いつも生徒に言うのが、「経済的自立なくして精神的自立はない」と話しています。反抗期があって、たまに両親に対して「うるせー」とか思うことだってあると思います。でもご両親が働いて養ってくれているのに何を言ってるんだと。今はバイトもできないし受験もあるので、経済的な自立はできないけど、家の手伝いをするとか、自立するために何をすればいいのか考えてもらいたいですね。とにかく、自分で生きていく力をつけていってもらいたい。
テンポの良い授業に、生徒はいつ当てられるかとビクビクしている
―今日までの教師人生の中で、思い出に残るようなエピソードはありますか?
教師になりたいと思ってくれる卒業生が何人かいるんですけど、そういう卒業生が出てくるとうれしいですよね。自分を見て「教師になりたい」と、思ってくれたのかは微妙ですが(笑)
―先生は生徒を殴ったことありますか?
じつは長崎県の公立高校で教師をやっていた頃、1回だけ殴っちゃったことがあったんですよね。時代や土地柄もあったんでしょうけど、保護者の方から「先生殴ってもいいので厳しくやってください」と、いっていただいていたにもかかわらず、手を上げてしまったことは、今でもものすごく後悔しています。その殴ってしまった生徒のと関係もしばらくギクシャクしてしまいましたし、もう二度と手を上げたらダメだなと思いました。
学校は非常に狭い世界。もっと社会に目を向けてほしい
―非常に「熱い先生」という評判を聞いたんですが、その理由は?
声が大きいとか、筆圧が強いとかそういうことからじゃないかなと思うんですよね(笑)
―学級新聞を作るなど、勉強以外のことも生徒に知ってもらおうという働きかけの目的とは?
勉強や進路のことで大変だからと、家と学校の往復だけじゃダメだと思うんですよね。もっと社会に目をむけてほしいなと。勉強と部活だけでもいいんですけど、プラスアルファで社会に目を向けるきっかけがあったらいいなと思っています。
大塚先生作の学級通信。 文中の「旅に出ろ。」の一言が印象的である。
―たくさんの生徒にひとりひとり接するのは難しいと思いますが、そのパワーの源はどこから?
学校って非常に狭い世界なので、私自身も趣味を持って学校と家の往復にならないようにしたいと思っています。そこでいろいろなものを吸収するようにしています。あと、生徒たちと数年後に会って人生について話す場を設けるのも原動力になっています。卒業生と食事に行ったり飲むのは楽しいですね。金がかかって大変ですけどね(笑)。
大塚先生の声は廊下にいてもかなり聞こえる
―熱すぎて……というか、熱意をぶつけすぎて、引かれてしまったとかありますか?
以前、不登校の生徒に対してなんですが、私がしつこいのもあるんですけど、「先生、さすがに家にまで来られるのはきついです」とかいわれたことはありますね。あと、「声がでかい」は、頻繁に言われますし。
―生徒さんにはどんな大人になってもらいたいですか?
たくましく、そして、自立した大人になってもらいたいですね。誰かや何かに依存したり他律的な生き方をしてはダメだろと思います。親が言うから、成績が悪いからで、進路や人生を妥協してほしくないです。自分の人生なんだから、他人に依存しないでもらいたいですね。
―50歳になったら喫茶店をやりたいというお話をうかがったのですが、それは本当なんですか?
できるかわかりませんが、やるべきことをやって、生徒も満足、教師も納得の学級経営なりができて、「最高のクラスができた!」と思って、やるべきことはやったと思えたら、定年前でもいいので辞めてもいいかなと思っています。だから50くらいで辞めて、喫茶店やろうと思っているんですよ。
―そう思ったきっかけは?
「ぼくの好きな先生」というフランス映画に登場する先生に影響を受けました。その先生は、55歳で教師を辞めてしまうのですが、映画のパンフレットに、「第二の人生を考えたときに60代じゃ遅い、50代でスタートを切らないとだめだ」と、書いてあったんですね。それを読んで、こういう生き方もいいなと思って。それで喫茶店がやりたいなと。
編集部のどんな質問にも包み隠さず答えてくれた。
―生徒にメッセージをお願いします。
「やるときはやれ」でしょうか。あと、何をするにも「メリハリつけろ」「TPOをわきまえろ」とは言っています。社会に出ると、どんなにがんばっても報われないことってあると思うんです。でも勉強や部活はやればやるだけのことがあるレベルまでは返ってくる。だからこそ、今しかできないことは、目一杯やってもらいたいです。