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入るのに勇気がいる、名前からしておかしな野毛の一軒家の店「うっふ」に突撃!

ココがキニナル!

野毛のルタンぺルデュのオーナーが、おかしな店をオープン。大道芸とオルゴールの酒場。二階吹き抜け。(brooksさん)/「オルゴール博物館」入るには勇気が要るのでレポートを!(siglo1966さん)

はまれぽ調査結果!

「博物館Cafe&Barうっふ」はアンティークの楽器やオルゴールを展示されたカフェバー。お酒を飲みながら大道芸のショーやJAZZライブを楽しめる店!

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ライター:大和田 敏子

フランスに丸10年 帰国後の生活のために買ったオルガン!?



「うっふ」にあるオルゴール、オルガン、ピアノなどは、三橋さんがコレクションしたもの。三橋さんの経歴を伺いながら、展示品を紹介することに。

三橋さんは、学生時代から演劇に打ち込む中でパントマイムに出会った。パントマイムを本格的に学びつつ「ザ・パントマ」というコンビで、浅草の松竹演芸場に出演し、NHKの『ひるのプレゼント』にレギュラー出演。週5日、全て新ネタ。アイデアを絞り出さなければならない日々だったという。
 


「すごい修業になり自信はついたが、1年間続け、抜け殻状態だった」


ちなみに、三橋さんらが降板後に出演したのが、当時まだ無名だった「ツービート」だったという。
演技力をもっと磨かなければと思うようになり、飛び込んだ演劇教室でフランス人演出家に出会い、渡仏したのは1971(昭和46)年のこと。
パントマイムを中心とした演劇学校に入るが、すでにプロとしてやっていた三橋さんらの演技を見て、次からは先生を任されたという。

その後、フランス中を公演して回り、そのころできた国立サーカス学校の講師としても教えるようにもなった。フランスに10年いて、1981(昭和56)年に帰国した。
 


フランスにいる当時、オルガン職人に作ってもらったもの


画家から骨董屋、さらにオルガン職人に転身した方の作だそう。昔の家具材を使って笛の部分を作り、テーブルの脚を飾りのようにあしらい、仕上げの絵を自ら描いた芸術性の高いもの。

全く基盤のない日本での生活を考えてオルガンを買ったことが「自動演奏の楽器コレクション」をすることになったきっかけの一つだった。帰国後は、各地のイベントでストリートオルガンを演奏して、パントマイムをやったという。
 


35年前、フランスで購入したオルガン。当時500万円したそう


100年以上前のオルガンで、もとは手廻しのものだが、電動のモーターで空気を送り込めるように改造している。
 


オルガン演奏に使うブックとよばれる楽譜。タイトルは三橋さんの手書き
 

セットするために広げると、こんなふうに穴が空いているのが分かる
 

からくり人形が音楽に合わせて動く(クリックすると動画が流れます)


『パリの空の下 セーヌは流れる』『ポルカ』を聴かせていただく。とても素敵な音色だったが、湿度などの条件によって調子が変わってくるのだそうだ。
  


自分で弾くオルガン。100年以上前のものだそう
 

ディスク型のオルゴール。これも100年以上前のもの
 

比較的新しい手廻しの電子オルガン


スペースがないので「うっふ」での展示数は多くないが、三橋さんは、ほかにも自動ピアノだけで5台、オルガン10数台をお持ちだそうで、入れ替えながら展示したいと話す。展示品の入れ替えがしやすいように、入口のドアは枠ごとはずせるようになっているそうだ。

「多くの方に見ていただきたい! 地域の子どもたちを招待することも考えています」と三橋さんは話す。
  
  

野毛大道芸初代プロデューサーへ



帰国後、三橋さんは東京で暮らしていたが、お子さんが産まれ家主さんからそれを理由に追い出されてしまう。・・・なんてひどい!

高校時代からの友人が住まいを世話してくれ、野毛坂に引っ越してきた。東京で仕事をする一方で、自宅1階をスタジオにし、毎週日曜日にパントマイムの劇場をしたり、自宅前や「ジャズ喫茶ちぐさ」の前でパントマイムをしたりしたという。1982(昭和57)から1983(昭和58)年のこと。
 


「当時の野毛は寂れた街。何をやっても失うものはないと感じた」


「野毛は伊勢佐木町や元町とはバックボーンが違い、おもちゃ箱をひっくり返しても大丈夫な街。大道芸が合っていた」と三橋さんは言う。
正式に野毛大道芸が始まったのが1986(昭和61)年。三橋さんは初代プロデューサーとなり、8回の野毛大道芸をプロデュースした。
 


野毛大道芸は今年で30年目、第40回を迎える


4月25、26日に行われる第40回の野毛大道芸には、当時2~3才だった息子さん(パリを拠点として活躍するミュージシャン)が出演されるという。・・・きっと感慨深いことだろう。

さて、話を「うっふ」に戻そう。
三橋さんから話を伺っている途中から、キニナっていたことが・・・
 


これです! 綱渡りの練習している綺麗な女性が・・・
 

実はこの方、ポールダンスのダンサー「花火」さん
 

花火さんは「東京うぐいす座」として野毛大道芸にも出演する


野毛大道芸出演後は、夜には「うっふ」でセクシーポールダンスのショーも行うという。
 


綱渡り体験は2度目だそうだが、かなりスムーズな足運び


聞けば花火さん、体操で国体出場経験があるとか・・・なるほど。