横浜の○○に聞く。第2回は横浜の大衆演芸を支える芸人さんの想いに迫る!
ココがキニナル!
横浜の○○に聞く! 第2回は横浜でその芸を披露し、大衆演芸を支える噺家さん・芸人のみなさん。芸について、横浜という街について、至高のお話とその様子をちょうだいいたしました
はまれぽ調査結果!
大衆演芸は、日々の生活の中で積もった垢をそっと落としてくれる、身近で大切な心地の良い時間。どの芸人さんも、大衆演芸と横浜をこよなく愛していた
ライター:クドー・シュンサク
落語立川流・戸塚区出身の噺家さんと幻の大道芸人
ということでやってまいりましたは、東京都にある中野区。
個人的にも会ってみたいと思っていた噺家さんです。
女郎と客との心中が題材となった品川からは20分ほどで到着
お寿司屋さんでの落語会を控えた立川志の八さんに、それまでのお時間をちょうだいしてお近づきに。
2000年5月落語立川流、立川志の輔師匠に入門した立川志の八さん
幼少の時代から、横浜でさまざまな芸能の興行主を生業にしていた父の影響で落語に興味を持ち、慣れ親しんでいた志の八さん。落語が「面白い」というのは体の中に入っていたという。それから多感な青春時代を地元戸塚での学校生活、部活や友人たちとの時間に費やしていくうちに、少々落語から離れる時期を過ごす。
そのまま漫画家を志望したり海外へと遊びに行くといった時間を経て
志の八さん本人いわく「好奇心やそういうものに逆らわずプラプラと過ごしていましたね」というある時、落語にもう一度ふれる機会が23歳のころ訪れる。
それが現在の師匠、立川志の輔師匠の高座を関内小ホールで観て聞いて触れたときに、これだと感じ、落語家になる決心をしたとのこと。その時の演目は江戸落語を代表する人情噺「唐茄子屋政談(とうなすやせいだん)」。
「もう全身が震えるというか、とんでもない磁場に引き込まれましたね(笑)」
それから少々の時を経て2000(平成12)年5月に落語立川流・立川志の輔に入門。2009(平成21)年に二つ目に昇進。2011(平成23)年には相模原若手落語選手権にて優勝。翌年には群馬県前橋市で行われた選手権でも優勝。現在も日々、寄席や落語会にて、横浜で築き上げた芸を高座で披露し続ける。
志の八さん、ボブ・ディランが好きということで、しばし音楽談義にも笑顔でおつきあいしていただいた。
そして現在も隔月で野毛にて独演会を行う志の八さん
場所はにぎわい座の地下にある野毛シャーレにて。毎回多くの人でにぎわう人気の独演会という噂も耳にしたことがある。前座での初舞台は師匠の高座を観てこの道を決心した場所、関内小ホール。兄弟子さんと兄弟会を行うのも関内小ホール。落語に触れ生まれ育った街、自らがこの道を決心した街、横浜での高座には、てらいのないこだわりが垣間見える。
人情と人間模様、そして古き良きものを愛す志の八さん
「横浜・・・うん、いろいろな顔がある魅力的な街であり・・・古き良きものがいまだに息づいている街なんですよね。芸人にも温かい街ですし。お客さんに上も下も横もなにもないんですが、横浜のお客のみなさんに落語を観てもらえるのが、何か自分の支えになっている部分はありますね」
そして現在の文化と時代背景にも思うところはありつつも、噺家として、落語家として大衆演芸を通じて何かを伝えていけたらという気持ちが、志の八さんは口に出さなくとも、心地よく感じることができました。
志の八さんが真打になる日をこころから楽しみにしています
余談ですが、インタビューの際に「黄金餅」という噺を少しだけ聞かせていただきました。
つまるところ、この仕事の特権とでもいいましょうか。
続きましては
ひとつ噺家さんの間に、大道芸を披露する芸人さんを。
横浜で「幻の芸人」といわれた方にお話を伺います。場所は、幻の芸人の住み家がある東京都板橋区は大山へ。
やってまいりました
横浜の大衆演芸といえば、と代名詞にも値するヨコハマ大道芸で名物ともされる芸人でありパフォーマーである、あがりえ弘虫(ひろむ)さんにお近づきになろうと思います。
まずは大山の街を散策しながらインタビュー。
「いやぁ、よろしくおねがいします」
肩の力がほどよく、物腰もやわらかすぎない、なんとも心地の良い風情をお持ちのあがりえさん。街を散策しながら「芸に大切なのは間合いなんですよね、時間も距離も空気も、はい(笑)」と話すあがりえさん。
幻といわれる「世界で一番小さな人形劇」を芸に持つあがりえ弘虫さんに迫ります。
幻の芸人。そして横浜橋で観る桂一門の大衆寄席
大山の町の散策を終え
あがりえ弘虫さんに迫ります
沖縄出身の大道芸人でありパフォーマーのあがりえさん。20年以上前にヨコハマ大道芸から参加オファーがあり、それからは「ホーム」の感覚として20年以上横浜でその大道芸を披露する。その代表的な演目に「世界で一番小さな人形劇」というものがある。
本物の舞台さながらに緞帳(どんちょう)に照明や道具類、そして人形のサイズは15cm。小腹に抱えた舞台で人形が繰り広げる舞台に、あがりえさんの口上が舞う。
世界で一人の芸を持つあがりえさん。
その世界に一つの芸の始まりは「思いつき」だという
「いいかなって、思って始めました(笑)。発想のひとつを芸に転化させる。観る人が楽しめることを描く。稽古は大変ですがね・・・芸人は私の中で生であり、創作でありますね」
やはり、幻といわれる人は感性で生きる。
大道芸発祥の街、野毛にはそれこそ特別な思い入れがあるという。
こちら「世界で一番小さな人形劇」の舞台
こう披露される「世界で一番小さな人形劇」
小道具のすべては人形作家の奥様が手作り。その道具を手に20年以上ヨコハマ大道芸に出演するあがりえさんは「地元横浜の方も、近郊や遠方からも大道芸を楽しみに来る方々は多くいらっしゃいます。野毛の場合、それが顕著にあらわれますね。そのお客さんたちが芸を観るスタンスにとても居心地の良さを感じます。あたたかさやまっすぐな気持ち、そういったものが伝わってくるので、野毛のあの街で披露する大道芸は本当にやりがいを感じながら何年もやらせていただいています」とのこと。
「いい街ですよね。大衆演芸という言葉が本当にマッチする場所だと思います」
パントマイムでヨーロッパや韓国でも公演を行っていたあがりえさん。幻想と理想と現実、その狭間で芸を磨きみなさんに楽しんで、感じていただくのが大衆演芸だと、笑顔で話してくれました。
最後にメッセージもいただきました。
「ヨコハマ大道芸でお会いしましょう」
無駄のない、格好のいい芸人さんでした。