時代とともに姿を消していった横浜の貨物鉄道とは? 東高島駅の歴史を追う!(後編)
ココがキニナル!
日本貨物鉄道株式会社の「東高島駅」ってどんな駅ですか?気になります...(おにいさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
2005年の貨物発着を最後に事実上信号場となるも駅舎やホーム跡を残す東高島駅だが、周辺には再開発の計画が進行中。見に行くのなら今のうちなのだ
ライター:永田 ミナミ
そしてモータリゼーションがやってきた
さて、これまでにも高島~程ケ谷間や東神奈川~瑞穂間など、廃線になった貨物路線はあった。しかし一方で山下埠頭線も開通しており、瑞穂埠頭の米軍接収を除いて、いずれも鶴見~高島間や東海道線の貨物線の充実によるいわば建設的な合理化といえる。一方で1964(昭和39)年ごろから、日本国内ではモータリゼーションが広がりを見せていた。
1979(昭和54)年には東横浜駅が貨物取扱いを廃止、東横浜信号場に変更されるが、これもまた根岸線への貨物列車乗り入れによる合理化と見ることができるだろう。
開港以来同じ場所で、貨物輸送を支えてきた東横浜駅はその役目を終了した
桜木町駅前広場の地図の横にひっそりと佇むこの碑文に気づく人はどれくらいいるだろう
「往時は65万トンが発着し 多くの人が働き汗を流した 追憶のなかに永遠 東横浜駅」*クリックで拡大
しかし1980年前後になると、モータリゼーションの波が貨物輸送にも押し寄せ、時代の変化を目の当たりにすることになる
1981(昭和56)年には東横浜信号場~横浜港駅が単線化され
翌1982(昭和57)年11月15日には横浜港駅が廃止、横浜港信号場に格下げされる
また同じ日に東高島~横浜市場間、高島~表高島間が廃線、それにともない横浜市場駅、表高島駅が廃止された。これには1979(昭和54)年に基本構想が公表され、1981年に名称が「みなとみらい21」に決定した横浜市都心臨海部総合整備事業の着工を翌年にひかえて整理されたという側面もある。
そしてついに1986(昭和61)年には高島駅も廃止され、高島信号場となるのだった
このとき、高島駅に置かれていた横浜機関区も廃止されるのだが、ここで機関庫(車庫)について整理しておく。
貨物を扱いはじめた当初、桜木町に置かれていた「横浜機関庫」は、1915(大正4)年に桜木町駅から東横浜駅が貨物駅として分離した際に高島に移転し、より広く操車場を備えた「高島機関庫」となった。その後1936(昭和11)年に職制改正で「高島機関区」に、さらに鉄道開通75周年の鉄道記念日である1947(昭和22)年10月14日に「横浜機関区」に改称。その「横浜機関区」が廃止となったのである(現在、横浜本牧駅構内にある「横浜機関区」とは別である)。
このほかにも開業から21年で高島~山下埠頭間の貨物輸送が廃止されたが、形式的には高島信号場~横浜港信号場間の旅客輸送のみ存続された。
と見せかけて翌1987(昭和62)年には高島信号場~横浜港信号場の旅客輸送も廃止される
さらに1980年代は地図の外側でも貨物路線、貨物駅などの廃止が相次いだ。
1982(昭和57)年11月15日に、弁天橋~鶴見川口間廃線により鶴見川口駅も廃止。1983(昭和58)年11月1日にはあの巨大な新鶴見操車場が貨物取扱業務を廃止、翌84年に新鶴見信号場となった。また同年、根岸線の磯子~大船間の貨物運輸も廃止された。
1985(昭和60)年には現在の大黒埠頭新興駅交差点付近にあった新興駅が、新子安駅近くにあった入江駅に移転、統合(入江駅が新興駅に改称するかたちで入江駅廃止)する。1986(昭和61)年には浜安善駅(現在の安善駅から海側へ延伸した場所にあった)が廃止、浅野駅の貨物取扱も廃止となった。
そして気がつけばこの地域の貨物駅は、東高島駅と新興駅の2駅だけになっていたのであった。
時代は折しも日本中が浮かれ騒いだバブル期。貨物駅はふたりぼっちになってしまった
みなとみらいの世紀末
「みなとみらい21」は、1983(昭和58)年に着工したあと、まず1985(昭和60)年に横浜そごう(横浜新都心ビル)と日本丸メモリアルパークの一部が完成し、帆船日本丸が一般公開される。
1989(平成元)年には横浜博覧会が開催され、期間中はかつての貨物路線上に日本丸駅、山下公園駅がつくられディーゼル機関車が運行した(これが「鉄道線路」として使用された最後となった)。また横浜博にあわせて横浜美術館と横浜マリタイムミュージアム(現在の横浜みなと博物館)が開業、横浜ベイブリッジの首都高湾岸線も開通したほか臨港パークも一部完成した。
1991(平成3)年には横浜国際平和会議場竣工、ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル開業、ぷかりさん橋完成。1993(平成5)年には横浜博覧会の桜木町ゲート跡に横浜ランドマークタワーが開業し、みなとみらいのシンボルが続々と完成していった。
横浜博で人気を集めたコスモクロック21は1999年に現在地にちょっと移転し時を刻み続ける
一方で貨物線は、1986(昭和61)年に高島信号場に格下げになったと見せかけて書類上1987(昭和62)年には再び「高島駅」になったという話もある高島駅が、1995(平成7)年に今度は完全に廃止され姿を消す。
現在、高島駅跡は高島水際線公園として整備されており
操車場跡周辺は横浜みなとみらいスポーツパークやマリノスタウンとなっている
駅廃止と同時に東高島~高島間が単線化され、複線区間は東高島~鶴見のみとなった
1995(平成7)年は生糸検査所が横浜第二合同庁舎として改築された年でもある
1996(平成8)年には旧横浜港駅の旧汽車ホームが赤レンガパーク内に復元される