住宅街の廃墟から有名アニメが誕生? 相模大野にポツンとある「アニメーションアカデミー」に突撃!
ココがキニナル!
相模原市の住宅街に「アニメーションアカデミー」と年季の入った看板を掲げている建物がキニナル。人の気配がないが、「事業拡大のため、アニメーター募集」の張り紙も。調査を!(ピンクの窓口さん)
はまれぽ調査結果!
相模原市南区文京の「アニメーションアカデミー」は、現在10人の生徒さんがTVで放映されているアニメの原画を描きつつ学んでいる。
ライター:山崎 島
あの看板は実はそんなに古くない
近くの小学生の間でいろいろ伝説がささやかれていそうな「アニメーションアカデミー」が開校したのは約5年前と、意外と最近。
「若いアニメーターをしっかり育て、現場へ送り、日本のアニメの質を上げていく」ことを目標に、フリーのアニメーターとして第一線で働かれていた伴さんが設立した。
しっかり現役のアニメ学校
「ここができる前、私は自宅で原画の仕事をしていました。その時は人に教える予定はなかったのですが、知り合いから『甥がアニメーターになりたいので、指導してほしい』
と頼まれ、引き受けました。しばらくするとどこかから噂が広がったのか『自分も教えてほしい』と来る子たちが増えてきて、自宅で教室のようなことをするようになり、この場所にアニメーションアカデミーを立ち上げました」とのこと。
当初は教室としてアニメのイロハを学ぶ場所だったが、約2年半前に大手制作会社から原画の仕事を下請けとして受注するようになった。現在は学びながら現場の仕事をする場、として運営されている。
原画とは・・・
こちらはアニメの「設計図」ともいえる絵コンテ
その設計図を基に、まずラフと呼ばれるスケッチを描く。
次にラフに作画監督が修正を入れる
それを清書するのが原画
細かい画を少しずつ変化させながら何枚も描き、1つのカットができていく。まともに丸も書けない山崎は、見ているだけで気が遠くなるような作業。本当にすごい。
こちらはコンテよりももっと全体が見られるタイムシート
ここで働く方のお給料は時給制ではなく、このタイムシート1冊で決まる。
「今放送されているTVアニメを6割手がけています。有名な作品で言えば『ワンピース』
や『進撃の巨人』『ポケモン』などでしょうか。ここでは教材を実際の現場のものを使っています。生徒はみんな覚えるのが早いし、現場経験もできるため、とても実戦向きの勉強ができます」
現在は10人のスタッフさんが現場の仕事をしながら学んでいる
皆さん夢を追いかけながら第一線で働いているのですね。
張り詰めた背中がかっこいい
未来のアニメーターたちを育てつつ、現場へ繋げている伴さんご自身も、この道45年の大ベテランアニメーター。
「私はもともと、東京芸術大学の彫刻科に通っていました。学費や生活費を稼ぐためにテレビ局やアニメの制作所でバイトをしていたのですが、学業と両立するのが難しかった上に、大学にいてもなんとなく行き着く先が見えるような気がして中退し、バイト先のツテでアメリカのアニメスタジオのスタッフとして渡米しました」とアニメ業界に入る前のことを語ってくださった。
ふむふむ
アメリカへ渡った伴さんはスタジオで働きながら、ある大手アニメ会社の門をたたき続けた。なんと、ウォルト・ディズニー・スタジオである。日本にいた時からウォルト・ディズニー・スタジオに入りたくて仕方なかったという。
「僕は『ファンタジア』という作品にとても感銘を受けたんです。僕は音楽も好きなんだけど、あの作品は音楽を見事にアニメで表現している。あんな素晴らしい作品は日本にはありませんでした。初めて見た時は本当に衝撃を受けた。ディズニーに入って『ファンタジア』
のような作品を作りたかったんです」
大人の事情でのせられないから!
1年間働きながら、ウォルト・ディズニー・スタジオに挑戦し続けたが、残念ながらその狭き門をくぐることはできなかった。在籍していたアニメーションスタジオでの契約が終わり、帰国しようとしたが、当時日本ではまだアニメの需要は少なく、アニメーターとして生きて行くのが難しい時代。
「アメリカではアニメを作れる一人のアーティストとして認められていたけど、日本では今よりも認められていなかった。求人欄を見ても、アニメーターの給料って本当に少ない。日本ではもう描きたくないな、って思っちゃったんだよね」と、アメリカのスタジオで貯めたお金を持って、ハワイでしばらく気ままな生活をされていた。
ハワイの様子(フリー画像より)
ハワイ(フリー画像より)
ハワイ(フリー画像より)
その時日本の友達に送ったイラスト入りの絵ハガキがきっかけとなり、講談社からミヒャエル・エンデ作『ジムボタン』の作画担当の話があり、それがアニメ化までされたり、帰国後「もう違う仕事をしよう」と手に取った求人誌『デイリーan(現:an)』の表紙を10年描くことになったりと、ちょっと奇跡のようにキャリアを重ねていった。
「怖い物知らずだったんですね。今考えると恐ろしいです」
その後5年間アニメ制作会社に就職。株式会社エイケン(『サザエさん』の制作会社)など複数社でアニメ『ゴースト・バスターズ』の作画監督などを務めた後、韓国にアニメスタジオを立ち上げるために再び日本を出る。
「韓国では2ヶ月ぐらいで帰ってこようと思ったけど、良い友達ができて2年も住んでしまいました」とお茶目な伴さん。
嵐のような半生を経て、ここ相模原市にお住まいを構え、現在に至る。
のどかな相模原市
「今は原画の下請けをしていますが、今後は丸々1本ここでアニメを完成させられるようになりたいです。今はまだ法人ではないのですが、来年から具体的に動き出し、いずれは会社でオリジナルのアニメを作れたらと思います。表の張り紙はそのためのものです」と、今度の展望とあの張り紙についてお話くださった。
ちなみに、あの年季が入った看板は「あれは5年前に書いたもの」で、撥水とか防水とかそういう関係で味わい深い物になったそうな。
若きアニメーターにもインタビュー
皆さん作業に集中しているところ大変恐縮だったが、お話いただいた。
毎日自転車通勤の高橋さん(25歳)
「タイヤがよくパンクしちゃって大変なんです・・・」と和やかな雰囲気を作ってくださった高橋さん。
アニメ業界に入られたきっかけは「元々僕は漫画家になりたくて、絵を勉強するために約4年前に伴先生の教室に入りました。ここにいるうちにどんどんアニメの世界に惹かれて、今はアニメーターですと堂々と名乗れるようになりたいです」とのこと。
立派!!
お仕事については「すごく大変ですけど、自分の好きなことなので楽しいです」とおっしゃっていた。日々ビービー言いながら原稿を書いている自分が恥ずかしくなりました。私も頑張ろう。
「生徒たちにも言うのですが、アニメは鉛筆1本で無限の世界を作れる、魅力的な世界です。今のアニメ業界で若手が生きて行くのはとても難しいですが、それでもめげずに将来質の高いアニメ作品を残す人材を育てられたら、と思います」と伴さんは机に向かう生徒さんたちを見つめながらおっしゃった。
近年世界中から注目を集める日本のアニメ。まだ見ぬ名作を作り上げるであろう人たちの後ろ姿に感動した。これからはしっかりオープニングも見ようと思います。
取材を終えて
私事で恐縮なのですが、ライターになったばかりの時、編集長・吉田氏に「美大出身だから絵は描けるよね」と聞かれ「はい」と答えてしまった。嘘を真にするように割と頑張ってイラストを描いてみたが、出すのも失礼なぐらいな代物で今でも恥ずかしい。絵をかける人ってホント尊敬します。
―終わり―
相模大野アニメーションアカデミー
http://artbasebam.schoolbus.jp/access.html
角さん
2015年11月19日 01時45分
若者の「好き」という情熱に寄りかかった待遇では無く、彼らのやる気を支える待遇が得られるようになって欲しいですね。
八景のカズさん
2015年11月18日 19時49分
給与面で見るとブラック企業の最たる業界ですけど、それでも夢見て入る若者が多く、それを見ていると応援したくなります。クールジャパンの代表的な日本アニメの縁の下の力持ち若者が報われるよう、業界及び行政も改善してほしいです。
中山さん
2015年11月18日 10時58分
デッサン、見たとおりに描けない、 コツを知りたいですよ?