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鎌倉の歴史ある西洋建築「旧華頂宮邸」とは?

ココがキニナル!

鎌倉市が所有する旧華頂宮邸、どんな建築なのか?取得の経緯、今後の活用予定などを取材してください。キニナル。(にゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

1929年に華頂博信(かちょう・ひろのぶ)侯爵邸として建設。1996年に鎌倉市は建物を譲り受け、土地を取得した。一般公開以外の活用方法は検討中。

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ライター:橘 アリー

建物内の様子は?(つづき)

 

続いて、じゅうたん敷きでモダンな階段を上って2階へ
 

こちらが2階の間取り図
 

2階の居室は1階よりも厳かな雰囲気がある
 

照明器具にも、気品が感じられる
 

居室内にある洗面台
 

一見では豪華さを感じないが、天板に大理石が使われ壁紙も布製の上質な様子で、格式の高さが伺える。

 

バスルームは白いタイル張りで、清楚な様子である
 

洋風のバスタブは、現代のものとさほど変わらない
 

昭和初期当時では、最先端のものだったのだろうか。ほかには・・・

 

和室もあり、洋風の窓がモダンである
 

落ち着いた雰囲気の和室もある
 

洋室は淡いピンクの壁や照明などが可愛い
 

2階は、昭和初期当時の生活の様子がそのまま感じられるような空間だった。
なお、建物は3階建てであるが、3階部分は公開していない。

 

外から見た、この中央の窓の辺りが3階部分
 

3階は、屋根裏部屋のような1間だそうだ。
そして、庭園は、幾何学的でシンメトリーな、フランス式庭園である。

 

2階の居室窓からの庭の眺め
 

この庭では、季節になると、バラやアジサイなど四季折々の花や緑を楽しめるそうだ。
庭園の手入れは、ボランティアの方々が行っているそう。

 

1階はオープンテラスに
 

そして、庭園の先には、1971(昭和46)年に東京大崎の松崎邸から移築された門と茶室があり、無為庵(むいあん)と呼ばれている。

元は、松崎邸の茶室と門だが、無為庵の名前には、棟札(むなふだ:建物の建築・移築などの記録や記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札のこと)に「六十五才にして浄明寺宅間ヶ谷に余生を送らんが為 無為庵主」と記されているという由来があるそうだ。

 

お寺のような立派な門には、獅子の彫刻が施されている
 

門をくぐっていくと、茶室の建物がある。

 

こちらが茶室の建物。厳かな雰囲気である
 

中に入れないが、外から中の様子を見ることができる
 

懐かしさを感じる純和風の佇まいである
 

飾られている花も清楚で心地よい
 

庭園を挟んで隣り合う旧華頂宮邸と無為庵には、1971(昭和46)年に無為庵の持ち主だった松崎氏が旧華頂宮邸を取得したという関係があるようだ。

建物の様子が分かったところで、次は、旧華頂宮邸を取得した経緯などを鎌倉市の担当者に伺うことに。



寄贈により取得!?



最初に、鎌倉市が旧華頂宮邸を取得した経緯について。
所有者の変遷を登記簿で調べてみると、最初に所有権登記が行われたのは、1940(昭和15)年3月7日のこと。その後、所有者が何度も移り変わっていた。

 

庭園から見た建物
 

そして1996(平成8)年5月31日に鎌倉市は、この場所が開発される可能性があると考えた当時の所有者から建物を寄贈された。それを受けて土地の借地権を鎌倉市が取得し、建物を運用するようになった。鎌倉市が建物の寄贈を受け土地の借地権を取得したのは、この建物が鎌倉市の魅力向上に資すると認めたからとのこと。

旧華頂宮邸は1929(昭和4)年に建てられてから2016年で、87年が経つ。この長い年月の中に、何度も所有者が変わってきていた。

 

美しい庭園の古い樹木は、この変遷を見つめきた
 

続いて、一般公開について。
一般公開は2001(平成13)年より、春と秋の年に2回行われているそうだ。次回は10月の予定であるとのこと。
一般公開は無料であるが、保存のための寄付金を募集している。
築87年の建物の維持管理を行うのは、日常的な管理及び警備や、庭木の剪定、建物の修繕などを行うため費用が掛かるそうで、管理を行うのも容易なことではないようだ。

 

建物のみならず、広い敷地内を維持するのは大変そうだ
 

今後の活用予定については、検討中であるとのこと。定期的に一般公開を行いながら、時間をかけて摸索していくそうである。

なお、一般公開以外には、テレビドラマやコマーシャルの撮影にも使われているとのことだった。



来場者の方々の感想は?



見学に来ていた方々にお話を伺った。

 

東京は赤坂から来られた大畑さんご夫妻
 

「落ち着いた感じの建物で楽しく見学ができた。これだけの建物を維持管理するのは大変そう」と話してくださった。

 

友人同士で来られた、左から佐藤さん、木下さん、浅野さん
 

見学をした感想は「建物内は思っていたより地味であった」とのこと。
また、活用方法の案を伺うと「カフェになったら良さそう」と言っていた。

ほかには「西洋建築がこの鎌倉の谷戸にあることこそに意味がある」や「和の自然が残る場所にあるから、西洋建築物の美しさも際立つ」などあり、まだあまり知られていないようなので「一般公開をもっと増やして、より多くの人に知ってもらいたい」というご意見もあった。



取材を終えて



これまで、何度も所有者が変わってきた旧華頂宮邸。最終的には鎌倉市に寄贈され大切に保存されている。
民間に取得されると、もしかしたら開発のために取り壊されるなどの可能性も考えられるので、鎌倉市が取得するようになって良かったと思う。


―終わり―

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  • 宅間ヶ谷は鎌倉幕府没後の室町時代、関東管領上杉一族が四つに分かれて勢力争いをしますが、その一つ宅間上杉氏の館があった地です。ただ、宅間上杉氏は初代が管領になりますが、その失脚後、北鎌倉の山内上杉氏から2代にわたって養子を迎え入れ、ついに山内上杉家に吸収され、政治の舞台から消えますが、宅間の流れは横浜港南区・戸塚区の永谷郷領主に生き、港南区の永谷天神社は宅間氏の建立です。   また華頂宮邸は鎌倉三大洋館のひとつです。他の二つは現在鎌倉文学館になっている前田侯爵邸 と今カフェとなっている古我邸(鎌倉駅から銭洗弁天に向かう途中に建つ)です。少々取材不足でしたね。港南区:神倭

  • 山形市立第六小学校という素晴らしいアール・デコの校舎は、もうとっくに取り壊されています。熊本のジェーンズ邸は、残念でなりませんね。華頂宮邸が御庭共々残ったのは、鎌倉市が豊かなのも一因かもしれません。ぼくも来年には、横浜の両親と行ってみたいと思います。三宮家を除く宮さん方は皆さん、戦後は臣籍降下でご苦労なすったでしょう。戦後来ずっと祖母が住んでいた柿の木坂には、ご苦労が祟ったのか早逝した東久邇さんの奥さんと二人のお子さんがお住まいでしたが、祖母が「戦前まではお屋敷住まいだったなに、今は御門もなくいきなり扉があるお宅なのよ」と気の毒がっていた由、母から聞かされました。華頂宮ご夫妻はどうだったのでしょうね。ちなみにこちらの浴室の設えは、浴槽の形状色沢、モダンなシャワーヘッドなどからして、現代のものでアレンジされているのではないでしょうか。

  • 「東京都庭園美術館」(旧朝香宮邸)に勝るとも劣らない、アール・デコ様式時代の綺麗な邸宅ですね。美しい邸宅はひとつの美術品とも言えるので、たくさんの人に見てもらうことが良いと思います。私もいつか拝見したいです。ちなみにこちら熊本では「ジェーンズ邸」が地震で崩壊してしまいました。

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