25年間ありがとう! ハマの「永遠番長」三浦大輔投手引退セレモニーの様子は?
ココがキニナル!
三浦大輔選手の引退試合は選手全員が背番号18を付けての試合となりました。当日のハマスタの声を聞いてきてください(fire_jiさん)
はまれぽ調査結果!
横浜のファンを愛し、横浜に愛された「永遠番長」は感謝の言葉を何度も繰り返し、25年の現役生活にピリオドを打った
ライター:田中 大輔
特別なハマスタ
試合前の横浜スタジアム周辺は、すでに真っ青。フォトスポットやグッズ販売所前には長蛇の列ができ、スタジアムに入っていくファンの数も平日とは思えないほどの出足だ。
対戦相手である東京ヤクルトスワローズのファンをほとんど見かけないくらいで、いつもの試合とは違う、特別な雰囲気に包まれていた。
ゲートも特別仕様。開場時刻の午後4時すぎには既にこの人出
横浜公園に開かれた「ハマスタBAYビアガーデン」には大型ビジョンが設置され、チケットを取れなかったファンたちも多くモニター前に陣取った。
大型モニターの前にも黒山の人だかりができた
ハマスタに駆け付けたファンのひとり、なおなおさんは、「いつも勇気と感動をもらった」と話す。「三浦投手は男気が魅力。ファンを大切にする、人間的な部分も好きだった」と思い出を振り返った。
「いつかまた監督として」と、なおなおさん(前列中央)
三浦について「他球団のファンにとっても特別な存在」と言うヤクルトファンの男性は、「9回まで投げてほしい。きょうは負けてもいい」とまで。
長年のファン、鬼頭さんは「実は、友人に無理やり連れてこられた試合がファンになったきっかけ。それが三浦さんの初登板の試合だったんです」と話す。
それ以来、三浦のファンとなった鬼頭さんは「最初を見たから最後も」と話し、「集大成として思う存分投げてほしい」と続けた。
鬼頭夫妻も「いつかは監督になってほしい」
この三浦の初登板となった1992(平成4)年10月7日の試合は、球団が「横浜大洋ホエールズ」として最後に行った試合で、エースとして活躍し、晩年はクローザーも務めた遠藤一彦(えんどう・かずひこ)さんの引退試合でもあった。
三浦はその引退試合を肌で感じ、「自分も引退するときにセレモニーをしてもらえるような選手になりたい」と思ったと話している。
それから25年。いよいよ、ハマの番長が見送られるときが来た。
この日は、全選手が背番号18を身にまとった
初回、2回と連続して失点を喫するも、1回裏には梶谷隆幸(かじたに・たかゆき)選手のソロホームランで追いつき、突き放された2回裏には1点を返した。
2死からは、三浦自らのヒットでチャンスを演出。最後はホセ・ロペス選手のホームランで6対4と試合をひっくり返し、何が何でも三浦に白星を、という気迫を見せた。あるファンは、「きょうは何点取られたっていい。それ以上、取り返せばいい」と試合前にエールを送っていたが、その通りの展開になった。
球場のファンからも熱い声援が
そんな熱い展開の序盤戦となったが、残念ながら三浦はその後も失点を重ねてしまう。結局、6回3分の1、119球、被安打12、10失点でマウンドを降りた。
降板時には涙を堪え切れなかった三浦のもとには、内野陣はもちろん、外野を守る3人もマウンドに集まり握手を交わした。試合中ではあるが、涙をこらえられない選手もいた。
スタンドにも目を真っ赤にしたファンの姿があった。それは数字だけでは測れない何かを感じたから。負け投手としてキャリアを終えても、見ていた人の心には「1敗」では絶対に片づけられない思いを残してくれたからだ。