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幻の白い塔!? 謎の住人がいたという川崎市蟹ヶ谷の建物とは?

ココがキニナル!

今はもうありませんが、蟹ヶ谷の山の上にあった白い塔と呼ばれた建物は誰のもので何の建物か知りたい。噂では外国人が住んでた、科学者が住んでた、バスタブだけ置いてあったなどよく聞きました(くまおさん)

はまれぽ調査結果!

建物の持ち主は欧米系の趣向を持った個性的な男性。居住環境などの理由により建物の完成間際で住むのをやめ1965年ごろ放置、現在空き地になっている

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ライター:小方 サダオ

建物を購入した人が語る、建設者の素顔とは



Bさんに建物について伺うと「私はあの建物の隣に畑を持っていたので、休憩所や道具置場として使いたいと思い、Aさんに連絡を取ったのです。彼は海外留学後、沖縄などさまざまな米軍基地に出張し、通訳をしていた人でした。昭和30年代当時に英語がしゃべれるような才能のある人は少なかったのです。また横浜市中区太田町に住む両親や兄弟ともに、医者など立派な仕事をしていて、裕福な生活をしている人たちだったようです」

 

BさんはAさんの建物を休憩所などとして使っていた

 
「彼はもともと蟹ヶ谷に自宅を持っていたのですが、離婚することになり、近くにあった見晴らしの良いあの場所に本人が1人で住もうとあの建物を建てたのです」

「1965(昭和40)年前後、2階建ての建物を作り、水道も電気も通しました。しかし下水道は通っておらず、汚水は山から下に垂れ流しでした・・・。階段を仕上げるときになって、放置されました。あの建物はパルコン構造というもので、当時では先進的な建物で簡単には壊れないものでした」

 

本人が一人で住むために作った建物だった

 
投稿のバスタブや科学者に関して伺うと「アメリカかぶれの性分のためでしょう、バスタブを浴室に置こうとしていたのです。当時バスタブは、珍しいかもしれませんね。また彼の蟹ヶ谷の自宅に入ったことがありますが、外観は和風でしたが、中は玄関がなく、土足で入る欧米式のような作りでした」

「“科学者”に関しては、彼は私が訪ねた際も握手を拒み、白い手袋をした潔癖症で個性的な人だったことが関係しているかもしれません。人から渡されたものを直接手にせず、包みでくるまれた形で受け取るような人でした。その白い手袋をした姿の潔癖症な印象から、 “科学者”とのうわさが広がったのではないでしょうか」

 

市営住宅の住民からは、Aさんは珍しい目で見られたようだ

 
Aさんが建物を完成させて、その後住まなかった理由に関して伺うと「あの土地は団地が建つ前は畑が広がる耕地でした。1960(昭和35)年にあの山の上を、川崎市が耕地整理をし市営蟹ヶ谷住宅が建ちました。しかし、建設後Aさんは、周囲の市営住宅の住人などと、人づきあいがうまくできないことに気づき、途中で住むのをあきらめて放棄してしまったのです」

 

建物は経っていない(青矢印)(昭和38年高津区明細地図)


市営住宅の先の崖沿いに立つ建物(昭和55年高津区明細地図)


建物は市営住宅の敷地に囲まれている(昭和58年高津区明細地図)

 
「一般的な建築物には珍しく、日当たりの良い南向きには窓はなく、反対の崖側についていました。南西の方角が市営住宅にあたり、住人の目を感じる窓を作りたくなかったからです」

「彼があの建物で住みづらく感じた理由は、市営住宅の敷地先の崖際に建物があったので、市営住宅の住人はよそ者扱いをし、良い顔はしなかったからです。そのためか、畑などに市営住宅の人たちがよくゴミを捨てたりしていて嫌がらせのように思え、私も畑仕事がやりづらく感じました」

 

市営団地のそばにあったAさんの建物(青矢印)とBさんの畑(緑矢印)


市営住宅があったころ「白い塔」以外にも周囲には住宅が建っていた

 
「蟹ヶ谷を離れた後、彼は親せきなどを頼って転々として暮らしました。個性の強い人のため、親せきとは仲は良くなかったようで、私が彼と連絡を取ろうと彼の兄弟に話をすると『彼とは関係ない』という態度でした。しかし、『土地を購入したい』と申し出ると、1~2年かかって連絡先を調べて教えてもらいました。そして約10年前、彼に会って直接お金を手渡したのです。そのとき、彼は60歳過ぎでした」

「その後、子どもたちが入り込んでバスタブで火を燃やしたり、外壁を落書きしたりし、放置された建物を、私がオレンジ色に外壁を塗ったのです」

 

建物に住むのをやめたAさんは、蟹ヶ谷を離れ各地を転々としたという

 
「あの空き家となった建物は、テレビ番組で心霊スポットとして紹介されたりしました。崖の上に建っていたため目立ち、遠くからでも見えたため、広告塔のように使えるように感じました」

「私は購入後、1日数名の客しかとらない予約制のレストランにするつもりでした。眺めがよく、スカイツリーと東京タワーが同時に見られる珍しい場所も近くにあります。しかし、小学校の仮校舎をつくるということで、2012(平成24)年にこの土地は市に売りました」と答えてくれた。
 


Bさんは展望の良いこの場所でレストランを開きたかったという

 
Aさんは欧米系の趣向を持つ人であったため当時では珍しいスタイルの建物を建てたようだ。

また潔癖症で白い手袋をするなど個性的な性格を持っていたので、周りの目には“科学者の白衣”を連想させる人物に写ったのではないだろうか。
 


山の上からスカイツリーと東京タワーが同時に見られる場所もあるという

 
最後にAさんが最近まで住んでいた茨城県のケアハウスの関係者に伺うと「Aさんがこの施設に入られたころは80代でした。ご自身のことを文筆家と呼んでいて、何か書きものをしているのを見たことがあります。あの建物に関しては住みづらくなって出た、と言っていました。数年前にここを退所され、福祉関係の職員に相談し、茨城県の同じ市内でほかに住む場所を見つけたようです」と答えてくれた。



取材を終えて

Aさんは個性的な性格や独特の感性を持っていたことが、崖の上という特異な場所に洋風の家を建てたことからも分かる。その人柄のため、周囲からは奇異な目で見られ、 “科学者” “外人”などと呼ばれていたのではないだろうか。
彼は茨城県を落ち着ける場所として選び、生活してゆくのだろう。
 


崖の上に建つ「白い塔」

 

―終わり―
 

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  • 小学生の頃、この建物のことをみんな幽霊塔と呼んでました。いつの間にかなくなってましたが。

  • 市営住宅の連中は碌な奴がいねぇな。ゴミ捨てるとかね

  • 小学生の頃(昭和50年代中頃)、よく友達と中に入って遊んでいました。確かに中にバスタブがあり、2階のフロアも床が一部抜けていて、階段もなく不思議な建物でした。しかし調べてくれて本当にありがとう 近所に越してきてから37年・・ようやくモヤモヤが晴れました。地元に住んでいる我々の世代の間ではみんな戦争時代からの建物と教えられていましたが、そんな昔のものではないのですね・・科学者の話も、いろいろと噂話が広まる間に尾鰭がついて・・というところでしょうか。。オレンジ色になる前の写真が本当に懐かしいなぁ

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