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謎に包まれた学校? 防衛大学校を徹底取材!~学校の歴史と防大ツアー編~

ココがキニナル!

横須賀の防衛大学校。訓練として、遠泳、実弾射撃などもやってるそうで、普通の「大学」とは別世界な印象。実態が分からないので、ぜひ取材を(タロー先生さん)

はまれぽ調査結果!

1953年、防衛省が所管する幹部自衛官候補生を教育・訓練するための学校として開校。一般教養や自衛官として必要な技術の習得や体力を養う

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ライター:やまだ ひさえ

防衛大学校の設立



警察予備隊の発足とともに急がれたのが、中堅幹部の養成だ。

この問題に熱意を示したのが、当時の総理大臣、吉田茂(よしだ・しげる)元首相だった。
 


吉田元首相(Wikipediaより)
 

保安庁の設置によって、それまで別組織に属していた警察予備隊と海上警備隊が同じ庁に属することで、幹部の養成の一元化が実現すると考えた吉田元首相。

この構想を聞いた米国軍の関係者からは、陸・海軍の協調の難しさを知るだけに「成功しない」と何度も指摘されたし、専門家は「夢みたいな学校」という言葉を残している。
 


米軍からは反対意見が多かった
 

しかし・・・

1952(昭和27)年、保安庁の附属機関として「保安大学校」が設立され、2年後の1954(昭和29)年、防衛庁設置法施行により「防衛大学校」となった。なお、「大学」でなく「大学校」なのは、防大が文部省(現文部科学省)でなく、「防衛庁(現防衛省)の附属機関」という位置づけだったため、このような名称になった。

1953(昭和28)年4月、第1期生400人を迎え、保安大学校(のちの防大)は、仮校舎でスタートした。
 


仮校舎のあった久里浜駐屯地
 

また、平作(ひらさく)川を挟んで建っていた旧海軍工作学校も仮校舎として使われた。
 


現在は横須賀市立総合高校になっている
 

開校したといってもあくまでも仮校舎。正式なキャンパス決定するという問題が残っていた。

吉田元首相が候補地探しにあたって示した条件は「東京近郊であること」、「海が見えること」、「富士山が見えること」と3つの大きな柱があった。
 


日本の象徴である富士山が見えることが条件であることも興味深い(フリー素材)
 

これらの条件に当てはまった横須賀市の武山(たけやま)、小原台、東京・品川、東京湾7号埋立地、越中島(えっちゅうじま)、千葉・館山(たてやま)、行徳埋立地の7ヶ所が最終候補地として残った。最終的に武山に絞られたが、米軍施設の「キャンプ・マクギル」があったために断念。

代わって浮上したのが、小原台だ。
 


防大の敷地から相模湾越しに富士山を望める
 

また、観音崎に近い小原台は、旧日本軍時代、東京湾要塞地帯の一画を占めていた場所。軍関係の遺構も多く残っている一帯だ。

当時は、米軍の通信施設、耕作地のほかに、リゾート施設の建設計画も進行中だったが関係各所、省庁間の話し合いで解決。1954(昭和29)年4月26日、建設が開始し、翌1955(昭和30)年3月までに主要施設が完成した。
 


昭和30年代の防大(『新横須賀市史別版軍事』より)
 

同年4月11日、新キャンパスに第3期生を迎えて入校式が行われた。陸・海・空の幹部自衛官をめざす学生たちが一緒に学ぶ、世界に例をみない大学校のスタートだった。