南区「井土ヶ谷」はかつて「井戸ヶ谷」だった? 鎌倉時代の井戸には今も水が!
ココがキニナル!
「引越村(現・六ツ川町)…引っ越しの村?」「井土ヶ谷…井戸が多い谷?」「戸塚…扉の塚?」など横浜に点在する「なんとなくキニナル地名の由来」を新旧問わず調べてください!(スさん)
はまれぽ調査結果!
今回は「井土ヶ谷」の由来を調査! かつて「井戸ヶ谷」と呼ばれており、独特の地形を言い表したとする説や、鎌倉時代に名付けられたという言い伝えも!
ライター:はまれぽ編集部
今も水をたたえる尼将軍の井戸
その場所は、井土ヶ谷駅と弘明寺駅のちょうど中間あたり、神奈中バスの「南永田」停留所からも歩いてすぐの場所。
のぼりには「尼将軍」の文字が
こちらは、以前「ミナミの丘」を擁する寺院として紹介した乗蓮寺。鎌倉に幕府を開いた源頼朝、その死後に実権を握った妻の北条政子(尼将軍)ゆかりの場所でもある。
「南の丘メモリアルパーク」は乗蓮寺の墓地の名称だ
この乗蓮寺は、鎌倉の鬼門に当たる場所に北条政子が建立した寺院として知られている。境内には尼将軍ゆかりの「化粧の井戸」が今も水をたたえているのだ。
境内の奥にひっそりと残された化粧の井戸
鎌倉幕府では源実朝が暗殺され北条氏が幕府の実権を握った直後、1221(承久3)年に朝廷との間で「承久の乱」が発生。騒乱を避けて引越村(現在の六ツ川)に移った北条政子だったが、周辺は水が悪く化粧にも適さなかった。そのため、各所に井戸を掘らせたところ、井土ヶ谷乗蓮寺の井戸からは良質の水が出た。
それが「井土ヶ谷」の地名の由来になった、と言い伝えられてるようだ。
井土ヶ谷は良質な井戸ができた場所だった
どんな日照りの時にも井戸の水は枯れたことがないという
また、境内には井戸のほかにも、北条政子手植えと伝えられるカヤの木もそびえており、今も井土ヶ谷の街並みを見下ろしている。
横浜市の「名木古木」にも指定されているカヤの木
植えられたのは鎌倉時代と伝えられている
取材を終えて
鎌倉時代初期にルーツがあるという「井土ヶ谷」の地名。その由来の一つとされる井戸が、今も水をたたえているのは感慨深いものがある。
教科書で習った遠い時代の歴史が、連綿と現在に続いているということを改めて感じることになった。
ー終わりー
たけし♪さん
2019年03月01日 15時55分
「各所に井戸を掘らせた」とありますが、保土ケ谷駅東口の国道1号を渡って少し入ったところにも『政子の井戸』というのがあります。現存している井戸はいくつくらいあるのでしょう。
三日坊主さん
2019年02月28日 22時51分
北条政子も横浜にいたんだ……