横浜育ち!元プリンセスプリンセスの中山加奈子さんってどんな人?前編
ココがキニナル!
伝説のガールズロックバンド・プリンセスプリンセスのギタリスト中山加奈子さんってどんな人?
ライター:山本航
横浜は夢のようなことが起きる
―高校生時代はどんなところに遊びに行ってたんですか?
伊勢佐木町、ダイアモンド地下街、京急沿線とか、いろいろですね。大船の代ゼミに通っていたので京浜東北線沿いもよく行きましたね。関内のシェーキーズの食べ放題にも行きましたよ。
それからよくTVKの公開録画も見に行きました。
「ファイティング80ʻs」という番組の公開録画を蒲田の工学院でやっていたので、ハガキで応募して友だちと何度も行きましたねー。横浜フォーク村も見に行ったり。
TVKにモーターヘッドが来る!とか、NHK横浜にBOWWOWが来る!とか情報が入ると、友だちと行って出待ちをしたし、山本恭司(やまもと・きょうじ)さんにサインをもらったり。シェルガーデンに44MAGNUMとMARINOの「関西殴りこみGIG」を観に行って、横浜にこんな凄い人が来るなんて!と感動しました。
ー当時から横浜では東京と変わらないレベルで凄いバンドがライブをしていたんですね。
そう。地方の友だちには「いいなー」とよく言われました。横浜ってそういう夢のようなことが起きるんですよ。
でもね。実家の裏に山があって、我が家ではTVKが映らなくて見れなかったですけどね!
横浜に住んでいたのに実はTVKが見られなかった・・・
― えー(爆笑)?プリプリは結構TVKに出演されていましたけど、ご家族は見れなかったんですか?
そうなんですよー。でもFENは聴けたので、家のベランダでいっぱい聴きました。そうだ。私の最初のギターはVIVREのそばのYAMAHAで買いました。まだありますか?
―ありますよ!
あるんだー(懐かしそうに)。そのギターを最近また使うようになって、今日も持って来ようかと思ったんですよね。
―当時のバンド友達とは、今でも会いますか?
それが・・・あまりないんですよ。一度関係が切れた時期があって、それ以来。でもここ3~4年、磯子高校の友だちがLIVEに来てくれるようになって。4月のLIVEでも、3人来てくれました。
ロックギタリスト中山さんの誕生
―高校生のバンド時代には、プロのギタリストになることは決意していたんですか?
進路としては音楽の専門学校に進もうと思って願書を出していたんですが、高校卒業前に、のちのプリプリとなるバンド(赤坂小町)のオーディションがあったんです。でもその日が、専門学校のクラス分けテストの日と重なったんですよ。それで迷っていて。
とりあえず京急に乗ったんですが、品川駅まで悩んでいて、乗り換えの時に「えーい!」と、オーディション会場に行きました。
―うわー!なんてドラマティックな展開!
「ヤングセンス」という雑誌と、カセットテープのTDKの新レーベルが新人バンドを育てようというオーディションに合格して、それでプリプリのメンバーが揃いました。
最初は落ちてもいいから、卒業後のバンド仲間を見つけに行こうという気持ちでオーディションに向かいました。普段からLIVE会場でお客さんの中から「この人いいかも、一緒にバンド組んでみたいかも!」って目星をつけたりしていたんですよ。
―ドラムの富田さんも藤沢出身ですが、そのときからご存知でした?
いえ。知りませんでした。メンバー全員が初対面でしたね。
下段がドラムの富田京子さん
―プロを目指すときに、ご両親の反対はなかったんですか?
反対というより、心配してましたね。父親はTDKってどんな会社なのか調べて、これなら問題ないとか言っていました(笑)
―懐かしい・・・カセットテープメーカーの大手(爆笑)!
そう(笑)。だから問題ない!・・・とか言っていました(笑)
ーそれで初めて一人暮らしのために、ご実家を出たのですか?
はい。都内へ。といっても西日暮里です(笑)。
しかも独り暮らしではなく、メンバー5人での合宿生活です。オーディション合格のご褒美に、いきなりハワイ旅行に連れて行ってもらったので、メンバー同士、打ち解けるのは早かったですね。
オーディションする方も、メンバー全員が同じようなレベルの揃え方を選んだそうで、演奏技術だけでなく、みんな中流家庭育ちで普通っぽくて、とか、家庭環境やルックスも含めて誰かが特別に目立つ訳ではなく、バランス良くしたらしく。
デビューはしたものの・・・
―昔は横浜でのライブが多かったみたいですよね
そうですね。高校時代から馴染みのあるCLUB24、VIVREホール、新都市ホールとか。TVKのイベントもよくありましたね。
―高校生の時に見ていた番組や放送局で演奏できる実感はどうでした?
初めてファンキートマトに出演したとき、おこがましいんですがMCのシャーリー富岡さんに似てるとよく言われていたので、ご本人に会えたのがすごく嬉しかったです。実家では見れませんけど(笑)
「ファンキートマト」MC担当だったシャーリー富岡さん
―神奈川県で言うと、ドリームランドでもライブがありましたけど、覚えていますか?
はい。確か『赤坂小町ショー』かな?黄色い傘をステージの前に広げて並べて、ひと文字ずつ『赤』『坂』『小』『町』と書いてあったんですよー(笑)
―ベタですね(笑)。プライベートではドリームランドに遊びに行ったことはありますか?
はい、何度も。高校時代に友人がLAZYのファンで、一緒に観に行きました
神奈川県全域にエピソードが
―同じ年に、三浦海岸でもイベント出演されたようですね。
あー、他のゲストの方々と一緒に出たような。そういうイベントは多かったですね。
「赤坂小町」としてデビューしてもなかなか売れないし、他人の提供曲ばかり演奏してましたね。
―がんばってもなかなか売れないし、アイドルみたいな仕事が多いと不安ですよね。
自分たちで作ったオリジナル曲をやりたくて深夜にみんなで合宿所をこっそり抜け出して、よくスタジオでオリジナル曲の練習をしました。
そうするとね・・・深夜にお腹が空くんですよ(笑)。で、大量にゆで卵を作って持っていってました。
それで「事務所に新曲作りました!」とデモテープを渡しても「聴いたことある曲だなー」とか言って、まともに取り合ってもらえなくて。
みんなで絶対に成功しようね!って誓いのピアスを開けたりしました。
前編の取材を終えて
売れない時期がしばらく続きびっくりするエピソードが次々と飛び出す。まるで自叙伝のような、聞き応えのあるインタビューとなった。
7月5日に掲載する「後編・元プリンセスプリンセスのギタリスト中山加奈子さんってどんな人?」では、誰もがキニナるプリプリ誕生物語から解散、再結成までを振り返っていただき、20年ぶりに発売されたばかりのソロアルバムについてのお話しを伺う。
―つづく―
ポスポスさん
2019年11月07日 07時41分
名曲「パパ」は中山さん作と聞いています。見た目と違ってとても繊細な中山さんらしい曲だと思います。私の大好きな曲で、結婚式でお色直しに使わせていただきました。メンバーの渡辺敦子さんが以前テレビのインタビューで中山さんの第一印象を「私と同じ、ヤンチャな匂いがする人だと思った」と語っておられました(笑)
Moto_Shibuchoさん
2019年07月07日 10時46分
自分の実家のすぐ裏に中山さんの実家があって金中って噂あったけど本当だったんだ!ちょうど学区の境目だから西柴とどっちだろうって。自分の時は11クラスまで減ってましたけど。
Tommymさん
2019年07月05日 22時57分
私もスタジオ24で練習していました。1962年生まれなのでもしかしたらすれ違っていたかもしれません。私は全ての楽器を岡田屋にあった帝都無線で購入していました。BOWWOWのめんばーも来店していました。佐々木店長さん、良い人で大変お世話になりました。