横浜育ちのシンガーソングライター、秦 基博さんを徹底解剖!
ココがキニナル!
横浜育ちのシンガーソングライター、秦 基博さんってどんな人?
ライター:クドー・シュンサク
ひとつ耳にすると「!?」となる、素晴らしい声。その声は「鋼と硝子でできた声」とまで称される、唯一無二の魅力と色彩を持つ。
横浜育ちのシンガーソングライター、秦 基博。彼に生い立ちやルーツ、横浜への気持ちや諸々を伺うことに。
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横浜での青春時代
宮崎県日南市に生まれ、8歳の時に横浜市青葉区へとやってきた秦さん。
まずはひとつ、印象から。
―横浜に対する印象はどうでしたか? そして今はどういう印象がありますか?
青葉区という住宅街に住んでいたので、いわゆる「横浜」という場所は同じ市内でも観光に行くというイメージがありました。近いようで遠い、といった印象です。
港や中華街など、街並みはやはり個性的ですし、魅力がある街ですね。
落ち着いたムードと丁寧な語り口で話す秦さんの音楽ルーツを聞く
―ギターを始めたのはいつからですか?
小学校6年生からです。
―きっかけは? ギターはアコースティックですか?
ふたりいる兄の、上の方の兄からギターを譲り受けたのがきっかけで、ギターはアコースティックです。確か、morris(モーリス)のギターでした。
―作曲はいつごろから?
そのころから簡単にですが作曲はやってました。コードを6つくらい覚えて(笑)。独学でなんとか。それから中学、高校と徐々に作曲への熱が入ってきました。
高校生になり音楽活動にも変化が
―高校生のころはどういった音楽活動をしていましたか? あと、どんな高校生でしたか?
高校生のころは軽音楽部に所属していまして、学校では日本のバンドのコピーをやっていました。Mr.Childrenやエレファントカシマシとか。
初めて自分の曲で、ひとりでライブしたのは卒業してすぐの春休みです。中区の山下町にあるライブハウスのF.A.D YOKOHAMA(エフエーディーヨコハマ)さんでした。どんな高校生? んー・・・。
・・・・・・
たぶん、普通の高校生だと思います(笑)。F.A.Dでは同級生がバイトをしていたのでその紹介でライブをする流れになり、店長さんにはデビューまでの長い間、すごくお世話になりました。よく山下町界わいでご飯食べに行ったりして、色々なことを教わりました。
―お店はちなみに?
中華街の近くのデニーズです(笑)
―少し話が逸れますが、骨が折れるくらいボーリングが好きだっていうのは本当ですか?
・・・(笑)。昔の話ですけど・・・そうですね(笑)
―何ゲームもボーリングをして、翌日野球に興じている際に右腕を骨折、それでも左腕でするくらいボーリングが好きだったという話は本当ですか?
(笑)・・・まあ、本当です(笑)
―大学生のころ、毎日欠かさず「笑っていいとも」を観ていたというのは本当ですか?
それ、どこで調べたんですかね?(笑)。でも、まあ・・・観てました(笑)
良き間で丁寧に話す秦さん