岡野新田の開発に携わった岡野良親さんってどんな人?
ココがキニナル!
吉田新田や横浜新田など関内地区の歴史は周知されているが、神奈川湊周辺平沼地区は殆ど知られていません。岡野良親さんのこと、岡野新田他の正確な場所等が知りたい(yamaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
岡野良親さんは、保土ケ谷宿で金物を扱う豪商で、「鍋屋」という屋号で呼ばれ、親子によって開発された岡野新田は現在の岡野町に位置する
ライター:ほしば あずみ
親子三代の町づくりへ
岡野新田の開発は先行していた藤江新田の干拓を引き継ぐ形ではじまった。
開発者は岡野勘四郎良親。保土ケ谷宿で金物を扱う豪商で、「鍋屋」という屋号で呼ばれた。そのため岡野新田は別名を鍋屋新田という。
だが良親は新田開発に乗り出した3年後、41歳の若さで他界。父の遺志を継ぐ岡野家11代勘四郎良哉はわずか6歳だった。1850(嘉永3)年、17年の年月をかけ親子2代にわたる新田干拓事業は完成した。
面積は二十五町八反七畝一七歩(約7万8千坪)というから横浜スタジアム約10個分の広さだ。住人は農業のかたわら塩を焼くなどして暮らしを立てていたという。
そして良哉の長子として1865(慶応元)年に生まれたのが欣之助(きんのすけ)。1883(明治16)年、18歳で家督を継ぎ第12代目当主となった。
岡野家第12代当主 岡野欣之助
欣之助は教師、町会議員を経て、神奈川県農工銀行専務、東陽銀行頭取等を歴任。県財界の有力者となった。
保土ケ谷の地には田園住宅地を開発、道路や水路を整備する。道の両側に桜を植えて桜並木とし、「桜ヶ丘」という地名のもととなった。また、土地を提供していくつもの企業を誘致、地域の近代化に尽力する。
そして父、祖父の開発した岡野新田に1896(明治29)年、神奈川県農事試験場(現・岡野公園)を誘致。さらに、1883(明治33)年には設立が認可された初の県立高等女学校の建設用地として3000坪の土地を寄付、開校後には寄宿舎なども寄付した。
この「神奈川県立高等女学校」は、現在の県立横浜平沼高等学校である。
創立から110年を超える県立横浜平沼高等学校。現在の校舎は3代目
横浜平沼高校では歴史資料展示室を設け、1世紀以上にわたる学校の歴史を保存、展示しており、創建当初の資料等も所蔵している。
展示室を管理している同窓会「真澄会」に問い合わせると、開校当時の様子がわかる資料を見せていただけることに。
校舎の一角にある歴史資料展示室
近代化する岡野新田
岡野欣之助が寄贈した土地に立つ創建当時の校舎 ※1884(明治34)年
木造校舎には講堂、寄宿舎、食堂、理髪室、浴室、診察室などが備わっていた。全国に先駆けて制服が制定され、「英語」が必修科目であるなど教育内容も近代的だった。
校舎建設中の様子。校舎の目の前は川だったのがわかる
1881(明治14)~1886(明治19)年にかけて作成された参謀本部測量の地図。新田の様子もわかる
体育の授業風景(大正2~11年)
欣之助はその後も岡野新田の整備に取り組み、道路用地にあてるため私有地1万坪を市に献納する。区画が複雑化しないよう、1区画は約320坪、住宅も隣接する建物とは十分間隔を置くようにするなど条件を定め、模範住宅として建設が進んだ。
欣之助自身も、保土ケ谷の本邸と別に校舎に隣接する7000坪の敷地に洋風の豪邸をかまえた。4000坪の池に、老松を配した小島を数箇所つくり、島と島の間に橋をかけ魚や水鳥を放ち、それを一般公開して人々を楽しませたという。
また、平沼高校からほど近い一角(現・井上製作所)には「千歳園」という1000坪あまりの和風庭園もつくり、女学生や町民の憩いの場となった。小川や小さな池や花壇があり、模擬店がでたり園遊会が催されたりした。
岡野新田は岡野町として、判検事、弁護士、高級社員といった知識階級の住む高級住宅地となっていった。
同じころ、横浜市域の人口増加で公園施設が不足しているとのことから、欣之助が所有していた常盤台の別荘を公園に造成し、一般に公開したのが「常盤園」である。
「常盤園」については記事をあらためて紹介する。
まとめ
「学校の歴史を学ぶ際、岡野欣之助さんの事も教わるのですか?」
と取材時に真澄会の方に聞いたところ、「創立に関わるから学びはするけど、今の若い子は岡野新田のことも知らなかったりするからねえ」と苦笑していた。
とはいえ地元の市立岡野中学校でも、地元の歴史として独自に資料を作って岡野新田について学ぶなどしているとのことだった。
現在の町並みからだけではなかなか当時の様子を想像する事も困難だが、横浜発展の礎となった新田については、その他の地域の新田も含め広く学ぶ機会を持ちたいと思った。
歴史資料展示室は、管理者の真澄会に申し込めば、平沼高校卒業生でなくとも誰でも見学することができるので、。興味のある方は一度見学してみてはいかがだろう。
(真澄会の事務局は原則火曜日のみの在籍なので問い合わせの際には要確認)
―終わり―
◆参考文献
「ものがたり西区の今昔 西区の今昔・編集委員会/編 西区観光協会」
「横浜の新田と埋立 内田四方蔵/編 横浜市図書館」
「ふるさと岡野 横浜市立岡野中学校/編」
「保土ケ谷区郷土史 上・下 保土ケ谷区郷土史刊行委員部/編」
「岡野新田と岡野欣之助 横浜市西区郷土史研究会平成23年度例会 山口精一」
◆取材協力
神奈川県立横浜平沼高等学校同窓会「真澄会」
http://www.masumikai.org
くてくてさん
2012年01月05日 12時13分
平沼高校出身です。出身なのに知らないことが多かったです。体育の授業風景ですが、(たぶん)現在でも体育祭で踊っているファウストという制服で踊るダンスです。横浜には新田が多いことは意外と知られていないようなので、今後もこのような話題が出てくるのを楽しみにしています。