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100年以上伊勢佐木町のシンボルだったビル「オデオン」が、「ドン・キホーテ」に変わったってホント!?

ココがキニナル!

オデオンの最盛期にはオデヲン座で映画を見て、先生堂書店、ラッキー模型を巡りました/オデオンが無くなるの本当?何か復活する秘策は?(poporonさん/碧猫@雑種さん/象の鼻さん/miyukidさん)

はまれぽ調査結果!

日本初の洋画封切館「オデヲン座」の跡地にできたオデオンビルはなくならない。10月末にドン・キホーテがテナントに入り、空きテナントは減少

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ライター:大和田 敏子

ニューオデオンビルの今後は?

オデオン座は初の洋画封切館で、まさに流行の発信地として100年以上イセザキのランドマークであり、オデオンビルになっても、その役割を残そうとしてきた。
「今でもニューオデオンのオレンジの看板は目立ち、待ち合わせ場所となりやすいでしょうが、施設や商店の利用を目的としてくる人は少なくなってきました」と永井さん。

 

ニューオデオンのオレンジの看板は目立つ(2014年10月7日)
 

取材時、オデオンの今後について尋ねたところ、ドン・キホーテの出店が、正式に決まっており、地下1階、地上1〜3階を売り場として、7階を倉庫として利用するとのことだった。駐車場、駐輪場の確保、荷さばき場などの問題を調整中だというが、11月末にはオープンの見込みとうかがっていた。
 


改装工事中のニューオデオンビル


調整がスムーズにいったこともあり、オープンが早まり、10月31日、ドン・キホーテが開店した。
 


屋上看板は、すでにドン・キホーテに(2014年10月23日)


オデオンビルへの出店について、株式会社ドン・キホーテの広報担当にお話をうかがうことができた。

「先月までオデオンビルの裏手でピカソ伊勢佐木町店を営業してきたのですが、小型店のため品ぞろえに限界があり、より規模の大きな店を探していました。もともと歴史ある伊勢佐木町の商店街に出店したいと考えていたので、縁あってオデオンビルに出店することができました」

「ピカソ伊勢佐木町店のころから、ご高齢の方をはじめ、地域の幅広い年齢層のお客様に来店いただいておりました。今後も、同様に地域の方々のご要望に応えることのできる品そろえ、サービスを提供し、伊勢佐木町商店街の皆さまと共に街を盛り上げていくことができたらと思っています」
と話してくれた。
 


オープン前日のドン・キホーテ―


ドン・キホーテ開店後も、現在ある宝石店(1階)、美容室(2階)、ユーズドセレクトショップ(4階)、インターネットカフェ(6階)は継続するので、ニューオデオンビルのフロアは、ほぼ埋まった。オレンジの屋上看板はドン・キホーテに変わったが、壁面の「NEW ODEON」のロゴは、そのまま残る。

 

「NEW ODEON」のロゴは健在
 

オデオンビルに入っている既存の店舗の方にお話をうかがうと、
KISEKI社長は、「商店街がにぎわい、活性化するなら良いことだと思います」と、オパール社長は、「一流企業ですし、品ぞろえも豊富で集客力もあるので、オデオンビルに以前のようのにぎわいが戻るでしょう」と話す。


ドン・キホーテ開店については、個人商店との競合の問題などもあるが、さびしい状況になっているオデオンビルに、にぎわいが戻ってくることは期待できる。

「屋上看板からオデオンの文字が消えることに、横浜の人間として、さびしさを感じないわけではないが、にぎやかになれば、また1つの目印にはなり、ランドマーク的な役割を期待できるとも考えています」と協同組合伊勢佐木町商店街の永井さんも話している。

 

オープン当日。入口はたくさんのお客さんでにぎわう

 

街の方にも、同店が開店したことについての思いをうかがった。

 

オカモトさん(49歳)よく伊勢佐木町に来るそう。はまれぽ読者でもある!
 

「オデオンは、かつては映画館があったビル。変わってしまうのは悲しいが、ドン・キホーテが入って活気づくことは、街にとっていいことだと思う。悲しくもあり嬉しくもある」
と話す。

また、当日、ドンキホーテで買い物をされたサイトウさん(28歳)は、
「ピカソ伊勢佐木町店より規模は大きく、商品の品ぞろえもいいので便利!」
と話してくれた。



取材を終えて

オデオンの変遷は、イセザキの街の歴史や移り変わりを色濃く反映したものだった。歴史を知る中で、流行の発信地であり、さらに「伊勢ブラ」の名をはせたイセザキの昔のことを、もっと知りたい気持ちになった。

今や横浜駅周辺やみなとみらいの商業施設には及ばず、やや寂れた印象が否めない伊勢佐木町だが、オデオンの変化が今後の商店街に好影響を与えてくれることに期待したい。どこにでもある商店街ではなく、歴史ある街として、さらに個性豊かに発展していってほしいという思いを強く持った。


―終わり―


参考文献
『OLD but NEW イセザキの未来につなぐ散歩道』
伊勢佐木町1・2丁目地区商店街振興組合「イセザキ歴史書をつくる会」(神奈川新聞社)
『横浜今昔散歩』原島広至(中経出版)
『なか区歴史の散歩道』(横浜開港資料館編)
 
 

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  • この記事自体が10年近く前の物でありますが、足跡として。それこそオデヲンの頃からかよっておりました。最初に行ったのは中3の夏休み、ホビージャパン誌の広告を見て、模型店ラッキー・サンを訪れました。大口と東神奈川の模型ラッキーグループ店舗には幼少の頃からお世話になっていましたので、これはきっと素晴らしい出会いが有るに違いない、と確信していました。予感は的中、もう何度足を運んだか分かりません。その後ラッキーは全ての店舗を整理し、日の出町近くのビルにラッキー・ベイフォートとして統合・移転しましたが、そちらも閉店して久しいです。先生堂書店も思い出深いですし、一階のパチンコ店の奥に在った絶妙な品揃えのお土産屋さん?も、大好物が溢れるスポットでした。干し首のレプリカは、買っておけば良かったと今でも悔しくなります。細いエスカレーターを登っていく時のワクワク感、たまらなく懐かしいです。

  • 今でこそあらゆるショッピングモールがあり、品揃えも豊富だが、バブル前は伊勢佐木モールか、横浜駅しか商業の集約拠点が無かった。だから本、レコード、服、スニーカーからバイクのヘルメットを買うにしても、横浜の消費構造が伊勢佐木に行くようになっていた。振り返れば東京の銀座にしてものチェーン店化、低価格化の流れが著しい。銀座でさえ百貨店は冴えないし、老舗店も衰退が激しい。中国語がよく聞こえることからも銀座が外国人観光客に依存している構造が浮かび上がる。80・90年代と東京都心は西高東低で新宿渋谷が発展し、丸の内銀座は低迷していた。銀座がこの10年で復権した理由の一つに官民一体で再開発を強力に進め、老朽建造物を集約して最新商業ビルを立地させ、周辺も高級マンションで固めて消費循環を生み出したから。伊勢佐木町、関内共に老朽建造物の更新が必要であるし、再開発で企業オフィスや店舗を呼び込む努力が必要だと思う。

  • 伊勢佐木町エリアに行かない理由として、みなとみらいや山下公園の続きで街を訪れるには地理的に不便に感じてしまう事かな。あとは、客層かな。

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