横浜が生んだ喜劇俳優ムロツヨシさんを徹底解剖!
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横浜が生んだ喜劇俳優ムロツヨシさんを徹底解剖!
ライター:永田 ミナミ
ムロツヨシと喜劇俳優
─続いて、19歳で役者を目指してからのことについてお聞きしたいと思いますが、役者として「歯車がかみ合ってきたな」と感じたのはいつごろですか?
まず、初めてのギャラをもらえる仕事まで8年かかったんですね。映像のデビューでもある『サマータイムマシン・ブルース』という映画です。それまではずっと舞台をやっていて、もちろん観に来てくれたみなさんからお金をいただくんですけど、そこから僕に入ってくるお金はもうほぼゼロに近かったので、ちゃんと出演料が出たのは『サマータイムマシン・ブルース』が最初でした。でも、そのときは歯車が「噛み合った」というよりは、自分のなかにも歯車が「あった」と認識できた感じですね。
─『サマータイムマシン・ブルース』は、舞台の打ち上げで会った本広克行(もとひろ・かつゆき)監督との会話であらゆる発言に「ムロツヨシ」を入れて売り込んだことがきっかけなんですよね?
そうです。映像デビューする1年前に、何とか覚えてもらおうと売り込んだんです。とにかく「ムロツヨシを使ってください」って言って。必死でしたね。元住吉時代で27歳のときです。
そこからまた5~6年たったときに『勇者ヨシヒコと魔王の城』というドラマに出会えて、自分が試行錯誤してきたことを自由にやっていいと言ってくれる福田雄一監督が現れたんです。そのドラマでみなさんに知ってもらえて、そのあたりからちょっとずつ歯車が合いはじめたかなっていうところですかね。
中央やや右の金髪マッシュルームカットの魔法使いがムロツヨシさんである
(提供:テレビ東京)
そしてこちらは劇中の魔法使いメレブの勇姿である(提供:テレビ東京)
─『勇者ヨシヒコ』は現場の楽しそうな雰囲気が画面からも溢れ出ていましたね。
そうですね。スケジュールや寒さなどつらいこともありましたけど、楽しくやらせてもらいました。
─先日はじまったTVドラマ『ナポレオンの村』では山田大地課長役で出演されてますね。
そうです。唐沢寿明さんと一緒にお仕事できるっていうのは嬉しいですね。それこそ大先輩どころか、高校時代に横浜で『愛という名のもとに』で観ていた人ですからね。ある朝、学校に行くとみんなが「チョロ」のことで騒然としていたあのドラマの唐沢さんと共演できているのは本当に嬉しいです。
─ムロツヨシさんが影響を受けた俳優や作品をあげるとすると?
最初に段田安則さんのお芝居を観てこの世界に入ったので、段田安則さんの存在は大きいですね。作品はいろいろありますけど、一時期、ナイロン100℃の『ナイス・エイジ』っていう舞台の初演(2000<平成12>年)と大人計画の『春子ブックセンター』の初演(2002<平成14>年)の映像がひとつのビデオテープに入っていたのを持っていて、それを繰り返し観ていました。あとは、何も仕事がないころにネプチューンさんのコントの映像をよく観ていて、それは今の演技にもかなり生きていると思います。
─ムロツヨシさんの演技の、あの飄々とした独特の間やテンポのスタイルはどういうふうに生まれたものなんですか?
小劇場でやっていたころ、しばらくは定員が100人に満たない劇場でもお客さんが全然入っていなかったんです。そういうなかで「もっとお客さんがいっぱいいるところでやりたい」とか「お客さんに笑ってもらうにはどうしたらいいか」ということを考えながらいろいろ試行錯誤を重ねて、そのなかから出てきたものなので、どうやって生まれたのかは自分でも分からないんです。
なるほど。いくつもの試行錯誤の積み重なりの結果なんですね
いろいろ試していたらある日、それまで何も言われなかった俳優がみんなから急に「あの人ずるい」って言われるようになったんですよ。それを聞いて「あ、これかな」と。そこから、まったくそんな言い方しなくていいところでするとか、急に前に出るとか「ずるい」芝居が始まるんです。その「ずるさ」に自分の役者としての生き甲斐というか、居場所を見つけたのかもしれないですね。
それまでは台詞をうまく読むなど人物をちゃんと表現しようと思っていたんですけど、それを捨てて、いかに舞台上で自分が楽しい時間を過ごすかっていうふうに変えたら、その途端に観ている人たちが僕のことを「あの役者、誰?」って言ってくれるようになったんです。
─映画『アフタースクール』では通りすがりのような短いシーンでの出演でしたが、とても印象に残りました。
あれは美味しい役をいただきました(笑)。そういう「ずるさ」が小劇場で生きる道でしたね。「そこで間はいらないだろ」っていうところでそういうことをやりたくなってしまったのは、20代後半です。
─今度また9月に舞台があるんですよね。どんな舞台になりそうですか?
はい、32歳から毎年やっている『muro式』という舞台です。今回で9回目になります。喜劇をやりたくて立ち上げた舞台なので、ムロのやりたい喜劇は何だろうと興味を持って観に来てもらえたら嬉しいですね。「ムロで笑いたい」と思って来てくれたら最高ですし「笑えるかどうか観てやろう」でも何でもいいんです。
muro式.9「=」は9月17~27日の東京公演のほか全国4都市の公演がすべて完売である
内容なんかまったくない舞台を目指しているところもあるので、テーマやコンセプトや作品性なんてない、とにかく席に座って、さあ笑うぞと思ってもらえる舞台をつくりたいと思っています。まあでも、今の時点でまったく中身は決まっていないので(笑)、これからみなさんに声を出して笑っていただくための作業が始まっていく感じです。演劇を初めて観る人も100回目の人も同じように面白いと思ってもらえる喜劇をつくれたら最高ですね。もちろんそれは簡単なことではないですけど。
相鉄ムービルでやった初めての一人芝居とその次の三人芝居は、いっさい笑い声が起こらなかったんですよ。そのとき味わった恐怖はもう、今でも人生で1位、2位に入りますね。自分で「やる」って言って、みんながお祝いで観に来てくれて、そのみんながまったく笑わなくて、何て言っていいか分からないから「頑張ったね」って言ってくれるんですよ。
「あのときみんなの顔を見るのは本当に怖かったですね」
─でも、そのまったく笑いが起きない恐怖を味わったあとも「次こそは」と思えたのはすごいと思います。
いや、その「次こそは」で3回目まではやったんですけど3回目もだめで、そこから2年間は舞台をやって人前に立つことが怖くてアルバイトしかしてない、恐怖の2年間がやってくるんです。ときどきオーディションには行ってたんですけど、あとはひたすら横浜市中央卸売市場でマグロを運んでました。仕事中ちょっと時間が空いたときは、市場の海側のほうに座って、いつまでこれやるんだろうとか、また人前に立ってみたいと思えるかなとか、ずっと考えてましたね。
─人前に立つ舞台というのは、華やかな場所ですけど、怖い場所でもありますよね。
評価されちゃいますからね。つまらないとばれちゃいますから。
─演じていて面白いなと思う瞬間は、どういうときですか?
やっぱり、それこそ変な言い方でもいいし、あえて棒読みしたときでもいいし、間を開けたときでもいいし、相手が流れのときに自分の台詞を入れこんだり、台本にあることでもないことでも何でもいいんですけど、自分で思いついたことをやってお客さんが声を出して笑ってくれたら、それはもう何事にも替えがたいです。
声を出して笑ってもらうことのむずかしさは相鉄ムービルの2回の舞台で嫌っていうほど知ったので、笑ってもらえたら安心もするしやり甲斐も感じるし、あとはそれをいかに大きく、長く、数を増やしていくかということですね。
ムロツヨシのムロツヨシ
─オフの日はどんなふうに過ごすんですか?
朝風呂に入って、映画を観たくなったら映画を観て、映画は観たくない日だったら散歩して、美味しいお昼ごはんが食べられる場所を探しながらビールを飲み、でまた運動という理由をつけて歩いて、喉が渇いたらビールを飲み、また歩いて1人で入れそうな店を見つけたら、いつまた来られるか分からないという理由をつけてその店に入って酒を飲み(笑)
そうやってひとり酒を飲むというのを昼間からやって、だいたい午後7時か8時ごろに寂しくなって友達を呼ぶっていう休日がほとんどです。
「友達に連絡して、そろそろちょっと来なさいよって言って(笑)」
─料理がお得意だという噂もありますよね?
僕は、料理は鍋しかやらないんですよ。何度かテレビ番組で取り上げていただいた「ムロしゃぶ」と「ムロ鍋」の2つがあるから料理が得意なように思われるんですけど、それしかやらないので、鍋だけが一人歩きして得意ってことになっているみたいです。
─ムロツヨシさんは交友関係の広さもよく話題にのぼりますよね。
僕は、純粋にいろいろな人と仲良くなりたいんです。たぶん生い立ちも関係しているんですけど、家の居心地がちょっとよくなかったので、いつも一緒にいてくれた友達にはとても感謝していて。だから、横浜を離れたときも、自然と新しい友達をつくろうと思ったんだと思います。友達が多いと「浅く広く」って言われたりするんですけど、どこからが浅いのか僕には分からないし、広いって分かってて友達になってくれる人も多いですし。それを「浅い」と言われても、本人同士がよければいいのかなと思ってます。
「友達が多くて助かっている部分もあるし、とにかく友達と過ごすのは楽しいので」
小さいときに自分の家が、みんなが集まる場所だったというのもあるかもしれません。小さいとき自分の家が崩壊気味で、なすすべがないようなときもあったんですけど、そういうときも学校に行けば友達がいて、放課後はみんながうちに遊びに来てくれたので。祖母がそういうふうにしてくれたんですけどね。うちにみんなが集まるから来たっていうそれくらいの理由でもいいんですよ。それがきっかけで仲良くなれたらそれでいいし。
─今でも横浜に遊びに行くことはありますか?
そうですね、最近また多くなりました。家族に会いに行く機会が増えて、そのとき1泊はするので。友達と横浜駅のあたりで飲んだり、大人になって横浜の夜を楽しむということで、20代のころには行かなかった関内まで足を伸ばしたりしてますね。野毛にも秘密のいい居場所を見つけました。
「お店のお母さんに『教えちゃだめだよ』と言われているので内緒ですけど(笑)」
野毛は最近も立ち食い焼き肉ができたりして、新しい風も吹きつつ昔からの風も吹いていて、歩いていても楽しいですよね。横浜に泊まるときは野毛とか桜木町にホテルをとって、横浜の夜とお酒を楽しんでます(笑)。昔はお酒なんて何でもよかったんですけどね。
─それでは最後に、今後はどのような役者になっていきたいと思いますか?
そうですね、最近は「職業は?」って聞かれたら「喜劇役者です」と答えるようにしているんです。喜劇役者を自分から名乗ると、それだけ責任を背負うことにもなりますけど、今「喜劇役者」を名乗る人はあまりいないので、喜劇をやっていきたい僕が名乗ってもいいかなと思って。もちろん喜劇以外にもいろいろな作品に出演していきたいですけど「喜劇役者ムロツヨシ」を見てもらえる時間が少しでも増えて、ムロツヨシを知ってくれる人が1人でも増えたらいいなと思っています。
「それをまずかたちにしていくっていうことですかね。自分なりに」
─今日はいろいろなお話を聞けてとても面白かったです。本当にありがとうございました。
読者プレゼント用にサイン色紙を書いていただきました。どしどしご応募ください
「喜劇役者」ムロツヨシさんの今後のさらなるご活躍を楽しみにしています
加藤大輔とムロツヨシ
さて、ムロツヨシさんから頼まれたセントラルスイムクラブ横浜の写真を撮影しに行くにあたって、せっかくなので加藤さんの話も聞いてみたいと思い取材のお願いをしてみたところ、快諾していただけた。
というわけで数日後、小学生時代からの大親友という加藤大輔さんにムロツヨシさんとの思い出を聞きに、片倉町へと向かった。
セントラルスイムクラブ横浜は横浜市営地下鉄片倉町駅2番出口から徒歩1分ととても近く便利
送迎バスも充実しているほか、無料駐車場も完備
こちらが加藤大輔さん。お忙しいなかありがとうございます
─ムロツヨシさんに街の歴史のことは加藤さんに聞けばだいたい分かると言われまして、いきなりですが「この街の最初のコンビニ」は駅近くのあのファミマで間違いないですか?
歴史のことが分かるかどうかは分かりませんが(笑)、もう少し山の上のほうにあったセブンイレブンが最初ですね。でも、この近くではあのファミリーマートが最初です。
─加藤さんはムロツヨシさんが片倉に来てからはずっと一緒に過ごしていたそうですね。
そうですね。家が本当にすぐ近所だったので、僕がツヨシの家に遊びに行っていて夕食の時間になったら自然とおばあちゃんが僕の分もつくってくれていたし、ツヨシがうちに遊びに来てるときもツヨシの分をつくっていて食べて帰るような感じでした。
神大寺小は、僕らのときは6年間で7回くらいクラス替えがあったんですよ。ふつうは2年に1回くらいですけど、学年の児童数でぎりぎり3クラスになったところに転校生が来て、始業式から1週間で4クラスにクラス替えみたいなことがあって。でも学年のシャッフルが多かったおかげで子どもたち同士みんな知っているんですよ。だから友達の輪も大きかったですね。
─その中心に加藤さんやムロツヨシさんがいたんですか?
そうですね、僕のそばにいつもツヨシがいて、まわりのみんなは2人でセットだと思っていたみたいです。中学生になると六角橋で遊んでいましたけど、隣の中学校との学区域の境にある「マリン」っていうゲームセンターにはなぜか六中(六角橋中学校)の先輩がいなかったのでよく行っていて、そこで隣の中学校のゲームがうまい通称「師匠」と仲良くなったりしていました。
「マリンの名前を聞いたらツヨシは懐かしくてひっくり返るかもしれないです」
友人の兄が「六中でいちばん楽な部活はバドミントン部だ」と言うのでツヨシと入りました。噂どおり上級生がおとなしくて何も言わなくて、ただ楽しくバドミントンをやっていましたね。厳しい練習でつらそうな野球部とかサッカー部の友達を「一緒にやる?」って誘って、ときどき一緒にやっていました。楽しいバドミントンを(笑)
ツヨシは中学校2年生の時の「ア・テスト」で突然勉強に目覚めて、成績が上がりはじめましたけど、それ以外は「とんねるず」が大好きな中学生でしたね。
─高校時代のムロツヨシさんとはどんな感じだったんですか?
僕らは横浜駅東口から鶴見高校までバス通学だったんですけど、定期試験前はバスのなかで「数学はこれが出るからやっとけ。これやれば20点は取れるから」とかツヨシに言われてました。まあ、やらなかったので0点でしたけど(笑)
ツヨシは高校生になったくらいからまわりに「かっこいい」って言われるようになって、高2と高3のときは「ミスター鶴見」に選ばれていました。通学途中で声をかけらたりして。
あと、放課後は「大雄」で「からし麺」を食べたり、高校の近くだと神奈川区入江のところにあるお好み焼き屋に行ったり、あとは高校の下のファストフード店には長い時間いましたね。今はなくなっちゃいましたけど、たまに「ご馳走」って言ってガーデン山郵便局近くの「グリルガーデン」にも行っていました。
というわけでセントラルスイムクラブから徒歩約10分の大雄に行ってみた
からし麺は辛味噌を溶くとほどよい辛さに。コーンの甘みと食感が嬉しかった
─河合塾に行くと見せかけて横浜駅で遊んでいたときの思い出の場所はありますか?
ダイエーの角を右に入ったところに「ムーンボウ」っていうカラオケ店があって、店名にちなんで月曜日が「ムーンデー」って言って、ちょっと安いんですよ。それでそんなことは分かってるのに、思い出したように「あれ、今日ひょっとしてムーンデーじゃねえ?」って言って角を曲がっていました。
─高校卒業後もよく遊んでたんですか?
そうですね。ツヨシが大学を辞めて横浜市中央卸売市場で働いているときも予定を聞いて仕事と仕事の合間で遊んだり、朝まで飲んでてツヨシはそのまま仕事に行ったこともありましたし。
─最近のムロツヨシさんの活躍ぶりは目覚ましいですよね。
嬉しいですね。相鉄ムービルの一人芝居から見てますからね。忙しいだろうけど、今は楽しそうだからいいかなと思ってます。まあまた近いうちに野毛で飲むと思いますけど(笑)
─秘密のお店で楽しい時間を過ごしてください。今日はありがとうございました。
35年という片倉周辺では最も長い歴史を持つ「セントラルスイムクラブ横浜」は、1996(平成8)年アトランタオリンピックで8大会32年ぶりに1500メートル自由形で決勝進出を果たし6位入賞した平野雅人選手など、強豪選手を何人も輩出してきている。現在は日本で5本の指に入る中学生も所属しているという。
横浜からオリンピックを目指すにはうってつけのスイミングクラブであった
―終わり―
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ムロツヨシ撮影:山口敏尚
衣裳協力:乱痴気CENTRAAAAAL(03-5766-8415/渋谷区神宮前5-45-12)
撮影協力:ギャラリーカフェバー縁縁[enyen]
http://www.enyen.jp/
mol iさん
2015年11月02日 10時37分
気になる俳優さんが中学の後輩だと校歌でわかり驚きました。さらに親近感がわきました
makabeさん
2015年10月07日 22時05分
学年は違いますが小中高校と12年間同じコースを歩んできたので、あった!あった!と大変懐かしい気持ちになり楽しく読ませていただきました。ムロさんの学年でも横浜市歌はたくさん歌ったはずです!全校集会で歌いましたよ(笑)益々のご活躍お祈り致しております。いつか母校の文化祭や式典などのステージに立ってくれるといいなあと思っています。
ジョンソンさん
2015年08月28日 03時31分
サマータイムマシンブルースは面白かったねー。何回か観た。瑛太さんも出てたね。名作ですよ。野毛はぼくもよく行くのでムロツヨシさんますます好きになった。