泉に和泉にいずみにいづみ、町の歴史を屋号が物語る、はま旅Vol.90「いずみ中央編」
ココがキニナル!
横浜市内全駅全下車の「はま旅」第90回は、泉区和泉町にある「いずみ中央駅」。さまざまに異なる各屋号には、町の長い歴史とそれぞれの想いが込められていた。
ライター:河野 哲弥
泉のごとく湧き出す、さまざまな表記
今回の旅の舞台である、相鉄線「いずみ中央駅」を降りると、そこにはさまざまな「泉」があった。いや、「いずみ」があったというべきか。よく探すと「和泉」もあった、さらには「いづみ」や「イヅミ」も見かけた。
駅名はひらがな表記なのであるが・・・
区の名前は「泉」で、町の名前は「和泉」
屋号に「イヅミ」を使うお店も
一見、無法地帯とも思えるこの表記乱立状態。なぜこのような状況が生まれてしまったのだろう。そこで、今回の「はま旅」では、いつものようなぶらり旅ではなく、こうしたいろいろな屋号・商標のバリエーションとその理由を追ってみようと思う。
いずみ中央駅と和泉川をバックに、撮影協力近所の人
担当するライターは、前日の忘年会で二日酔い気味の河野。若干の赤ら顔を恥ともせず、まず駅前にある泉区役所へ向かうことにした。
酒が湧く泉伝説から、この町の歴史が始まった
さて、現場周辺の地理をおさらいしておこう。
今いるのは、南北に延びる相鉄線の「いずみ中央駅」で、その東側に、ほぼ線路と平行して和泉川が流れている。この和泉川に沿った東西約1kmの流域が和泉町となっていて、泉区の総面積約1/3を占める、広大なエリアを形成している。
青線は泉区、ピンクの塗りつぶしが和泉町
泉区役所の広報課によれば、この和泉町の由来は、かつて酒が湧いたという池にあるそうだ。親孝行の息子が、病気がちで酒好きな父親にこの池の水をくんでいったところ、お酒になったという伝説が残っているらしい。
和泉町「第六天神社」にある、「酒湧池」の様子
「はま旅」のエリア外なので、詳細は割愛
このため、この近辺は、鎌倉時代から「和泉」と呼ばれていたとのこと。それがそのまま今に続き、1939(昭和14)年の区制編成時に戸塚区和泉町、そして、1986(昭和61)年の泉区誕生のときに、現在の泉区和泉町となったそうだ。もちろん、泉区の名前の由来はこの「酒湧池」にちなむもので、公募により「泉」が採用されたらしい。
では、実際の町の様子はどうなのだろう。「泉」表記と「和泉」表記の屋号を探し、その理由を聞いてみることにしよう。
区を意識したものは「泉」、町を意識したものは「和泉」
最初に向かったのは、区役所の北側、川沿いの貯水池を利用した「泉中央テニスガーデン」である。駅名と同じ読みなのに、漢字の「泉」一文字となっている。
乾いた冬空に、テニスの音が響く
管理棟の外観、どんな理由なのだろう
同ガーデンの方によれば、この施設は、横浜市の体育協会によって設立されたものだという。したがって、「泉」区にある市の施設という意味で、漢字一文字を採用しているとのこと。
続いて、和菓子製造販売「泉風月」
泉区じまんの品「泉焼き(120円)」ほか