泉に和泉にいずみにいづみ、町の歴史を屋号が物語る、はま旅Vol.90「いずみ中央編」
ココがキニナル!
横浜市内全駅全下車の「はま旅」第90回は、泉区和泉町にある「いずみ中央駅」。さまざまに異なる各屋号には、町の長い歴史とそれぞれの想いが込められていた。
ライター:河野 哲弥
区を意識したものは「泉」、町を意識したものは「和泉」(つづき)
一方、偶然通りかかった和菓子店では、泉区の銘菓を製造・販売していた。
どうやら、区役所を筆頭に、横浜市の行政がらみや泉区をモチーフとした場合、「泉」が用いられるようである。駅東南側にある「泉中央公園」も、泉区の誕生を記念して造られた公園なのだそうだ。
では、和泉派の主張は何なのだろう。
同じくテニススクールだが、こちらは和泉
和泉を冠する小学校もあった
「和泉テニスクラブ・スクール」の主張は単純明快で、「和泉町にあるから」というもの。また、「横浜市立和泉小学校」の縣校長によれば、「むかしから続く由緒ある町名であることを、生徒にも知ってもらいたくて、漢字二文字を採用している」そうだ。なぜ「和」を付けた和泉なのかも聞いてみたのだが、その理由までは分からないとのこと。
そこで、インターネットで補完してみたところ、かつて国の名前などを決める際に、「縁起のいい漢字二文字を採用すべし」というルールがあったようだ。和泉国の場合には、まさしくこのルールが適用されていたことになる。町名も、これに倣ったものだと考えられる。
ほか、撮影NGの某店主によれば、「昔は戸塚区だったから不思議と思わなかっただけ、泉区になったから変な話になっちゃってる、誰が何と言おうとココは和泉なんだよ」という意見もあった。
どうやら、和泉町が和泉派の根拠となっていることは、明らかなようだ。
「いずみ派」と「いづみ派」の謎
次は、ひらがなの「ず」と「づ」問題に触れてみよう。
前者の表記で多いのは、駅名をそのまま採用した、「○○いずみ中央店」というもの。そこで、相模鉄道の広報ご担当者さんに、そもそもなぜひらがなにしたのか、というところから質問をしたところ、以下の回答が返ってきた。
いずみ派の代表格、その理由は?
以下、引用。
当時の担当者がいないため推測の域を出ない話となりますが、「親しみやすさ」を前面に出すためにひらがなにしたのではないかということです。
これは、「いずみ中央駅」開業よりも先に開業した、弊社「いずみ野線およびいずみ野駅」(昭和51年4月8日)のときのことであり、そのひらがな表記の流れをくんだものであると思われます。
ちなみに、仙台の「泉中央駅」は平成4年7月15日、大阪の「和泉中央駅」は平成7年4月1日開業ですので、弊社「いずみ中央駅」の方が平成2年4月4日と先に開業しており、両者を意識はしていないようです。
後半部分の「両者を意識」とは、同名の駅と混同しないよう、それぞれ差別化を図ったのではないかという意味。しかし、他社は別として、相鉄側にその意図はなかったようだ。
ほか、単独の「いずみ」一例
相鉄の回答にあった「親しみやすさ」は、ほかのいずみ派の店舗などでも聞くことができた。また、某高齢者向けの施設の場合など、「お年寄りは目が悪いので、最近になって、読みやすい字に変えた」という理由もあるようだ。
次は、いよいよ、気になるいづみ派の主張である。
現地で確認できた「いづみ」表記は、美容院2、薬局1、幼稚園1といったところだった。しかしそのほとんどが、取材拒否や「理由は分からない」という回答だった。そんな中、唯一取材を受けてくださったのが、「いづみ幼稚園」だった。
1964(昭和39)年開園の、同幼稚園
お話を伺った、安東園長先生
「今までそんなことを聞かれた経験はなく、大変いい機会になった」と安東園長。早速調べていただいたところ、「いずみ」の旧仮名遣いは「いづみ」であり、人の名前にも使われることが多いので、「呼ばれやすさ・親しみやすさを込めて『いづみ』とした」という経緯が判明した。なお、同園には実際に、いづみちゃんがいらっしゃるそうだ。
温水プールも完備している、施設充実の同園
生徒数約230人、合計7クラスの編成を誇り、公式サイトのURLもわざわざ「idumi」としている同園。なお安東先生は、TBSの安東アナウンサー(通称・アンディー)のお父様とのことで、言われてみれば、どことなく似た風格がある。
余談はさておき、ひらがな表記の理由は、どちらも「親しみやすさ」を意識したものであることが分かった。また、とある住民の方によると、泉はもともと「出水(いづるみず、いづみ)」が由来なのだそうだ。