横浜市内に点在する杉山神社を全社制覇!vol.2
ココがキニナル!
横浜にはいたるところに杉山神社があり、「杉山神社」「杉山社」の名前で宗教法人登録されているだけで35社もあるそうです。とりあえず全部の杉山神社を回ってみませんか?(べいさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
旧久良岐郡のみにあてはまる「もう一つの杉山神社」。その謎を追うと、意外な神社が73社目の杉山神社として浮かび上がってきた。
ライター:ほしば あずみ
旧久良岐郡に残された七杉山神社の謎に迫る!
横浜市と周辺のみに分布する杉山神社。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には72社が記載されている。そのすべてをまわろうというのがこの企画。
前回、杉山神社分布の最南端に位置する旧久良岐郡(およそ現在の中区、南区、西区、磯子区、港南区、金沢区)の5社を訪ねたところ、他地域の杉山神社に見られない特徴を発見した。
数字は杉山神社がある数を示す。青色は合祀社(他の神社と合併した神社)を含めた数
各地に点在する杉山神社は、都筑郡にあった式内社「杉山神社」がルーツと考えられている(市内のいたるところに存在する杉山神社。その謎に迫る!)。
ところが、蒔田の杉山神社は「鎌倉の鬼門鎮護のため、源頼朝が挙兵した際に縁のあった相模国土肥郷杉山の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀った」のが創建の由来とされている。市杵島姫命とは、弁財天を指す。
なお、蒔田の杉山神社由緒には「伊豆国土肥」と記されているが、前回のコメントでご指摘いただいたように、「相模国土肥」が正しい。
明治30年頃の蒔田杉山神社。海がすぐそばに迫っていた
また、磯子の岡村天満宮に合祀された杉山神社は、「かつて頼朝が鎌倉の鬼門鎮護のために祀った『七杉山神社』の一社」という由来が残されていた。祭神は市杵島姫命。西区戸部の杉山神社にも、市杵島姫命が一緒に祀られている。
杉山神社に祀られる神は複数あるが、市杵島姫命を祀っている杉山神社は判明している限りこの3社のみ。
七杉山神社をさがして
戸部の杉山神社は主祭神が大国主命(オオクニヌシノミコト)なので1社として含めるべきか判断に迷うが、七杉山神社というからには少なくともあと4社、「鎌倉の鬼門鎮護のための杉山神社」が存在する可能性がある。手がかりは市杵島姫命を祀っている事。
そこで、前回詳細がわからなかった堀内の杉山神社について、もう一度調査してみた。
すると、大正時代に横浜市の歴史や風俗を編さんした「横浜市史稿」に、杉山神社を合祀した南区堀ノ内の子之神社についての記載があった。
それによると、子之神社の拝殿は「字柿ヶ谷(あざかきがやつ、現在の磯子区丸山1丁目付近)にあった杉山神社の社殿を移築したもの」だという。
子之神社の社殿は杉山神社を移築したものだった!(現在の社殿はその後改築したもの)
杉山神社の場所はわかったが、「明治10年の地誌草稿に『杉山神社の末社』とあるものの神社明細帳には見当たらない」、つまり「横浜市史稿」が編さんされた大正期でもすでに創建の由来などはわからないようだ。ただ、祭神は「弁財天(市杵島姫命)」を祀っていた事が判明。七杉山神社の一つだった可能性は高い。
また、南区大岡にある若宮八幡宮は創建の由来が「鎌倉の鬼門鎮護」である。
鎌倉の鶴岡八幡宮の境内社である若宮八幡宮の別宮を祀ったのがはじまりといわれ、1908(明治41)年に近隣の8社が合祀され現在は9柱の祭神が祀られている。その1柱が市杵島姫命だ。
若宮八幡宮(神奈川県神社庁データベースより)
神社に尋ねてみたところ、「鬼門除けとしてこの地に数社祀られた神社のひとつ」という由来が残っているという。だが、杉山神社に直接つながる手掛かりはなく、「数社祀られた」というほかの神社についての記録も残っていないし、明治期に合祀された神社についてもわからない。
南太田の杉山神社には市杵島姫命や弁財天に関連する由来は見当たらず、七杉山神社であるかどうかはわからない。