横浜市内に点在する杉山神社を全社制覇!vol.2
ココがキニナル!
横浜にはいたるところに杉山神社があり、「杉山神社」「杉山社」の名前で宗教法人登録されているだけで35社もあるそうです。とりあえず全部の杉山神社を回ってみませんか?(べいさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
旧久良岐郡のみにあてはまる「もう一つの杉山神社」。その謎を追うと、意外な神社が73社目の杉山神社として浮かび上がってきた。
ライター:ほしば あずみ
新たな杉山神社を発見?
旧久良岐郡内で他に市杵島姫命を祀っている神社はないか、もう一度見直してみたところ、意外な場所に行きあたった。中区羽衣町の厳島神社。はまれぽ編集部の目と鼻の先である。
そして、その由来をひもとくと、もとは横浜村の洲干島と呼ばれる先端部分にあって州干弁天と呼ばれていたもの。
昔の横浜村の様子。洲干島(宗閑嶋)先端部分に洲干弁天はあった
洲干弁天は境内に清水が湧いていた事から清水弁天、地名から横浜弁天、そして杉山弁天とも呼ばれていたという。
杉山!
厳島神社の鳥居。扁額には「横濱辨天」の文字
前述の「横浜市史稿」で洲干弁天について調べてみる。
創建は治承年間(1177~1181年)、頼朝が伊豆国土肥(これも相模国土肥の誤り?)から勧進したのがはじまりとされる。また一説によると、弘法大師が江の島の弁財天と同木同材で7つの弁財天を刻み、安置していたものを頼朝が7所に祠(ほこら)を建てて祀ったものの一つともいう。
この共通点、洲干弁天が七杉山神社の一社である可能性はとても高い気がする!
明治時代の洲干弁天(横浜開港資料館蔵)
洲干弁天は江戸時代の元禄年間(1688~1704年)に元町にあった別当(神社を管理する寺)増徳院の境内にご神体(弁財天)を置く仮殿を建て、上ノ宮杉山弁天と呼んだ。洲干島の本社は下ノ宮清水弁天と呼び、例祭の時だけご神体を本社に戻した。
洲干島の境内はおよそ1万2000坪(約4万 ㎡)。横浜スタジアム1,5個分にあたる広大なものだったが、街区拡張のため1869(明治2)年現在の羽衣町に移転。この羽衣という地名は弁財天にちなんだものだという。また、元の場所の洲干島でも弁天通り、弁天橋という名にその名残をとどめている。
風光明媚な名所として人々に親しまれていたという(横浜開港資料館蔵)
1869(明治2)年には増徳院の杉山弁天も神仏分離令により元町1丁目に新たに社殿を造立。震災、戦災を経て現在も元町5丁目にある元町厳島神社がこれで、市杵島姫命を祀っている。
元町厳島神社。合格祈願、縁結びの神様だそう
増徳院はその後、震災や戦災を経て南区平楽に移転。元町には1972(昭和47)年に再建された薬師堂・弁天堂が残るのみだ。
元町プラザ裏の薬師堂・弁天堂。1階は集会所になっている
かつての洲干島や七杉山神社の手がかりはないか、羽衣町の厳島神社の龍山宮司に話を伺ってみたが、「代々の宮司となったのは明治になりこの場所に厳島神社が移って以降(龍山宮司で三代目)なので、洲干島にお社があった時の事はわからない」との事だった。
ビルの谷間に鎮座する羽衣町の厳島神社
洲干島から移築、移設されたものなどが残っていないかも尋ねてみたが、空襲で壊滅状態だったためそれもないだろうという。
戦災で焼け野原となり戦後は長く進駐軍に接収されていて、古いものは残っていないのでないかと龍山宮司。七杉山神社、七弁財天の確証も得られなかった。
今回取り上げた七杉山神社関連の神社
旧久良岐郡七杉山神社(七弁財天)の可能性がある神社は、蒔田の杉山神社、堀ノ内の子神社(合祀)、磯子の岡村天満宮(合祀)、戸部の杉山神社、大岡の若宮八幡宮、羽衣町および元町の厳島神社。厳島神社を1社と数えると6社。まだ明らかになっていない杉山神社がどこかにあるのだろうか。
七杉山神社にはほかの謎も残るが、これ以上は全体の杉山神社調査からやや外れてしまう。謎解きは続けながらも、次回からは再び他地域の杉山神社をめぐっていきたい。
まとめ
「新編武蔵風土記稿」では洲干島の杉山弁天を杉山神社とはカウントしておらず、杉山神社の研究書「杉山神社考(戸倉英太郎著/昭53発行/緑区郷土史研究会)」でも触れられていない。
だが、今後の研究によっては羽衣町および元町の厳島神社は七杉山神社の一つとして、また73、74社目の杉山神社として新たに加わる事になるのではないだろうか。
―終わり―
まさじさん
2020年04月18日 08時03分
杉山神社に詳しい方は当然ご存じと思いますが、関東以外にも杉山神社はあります。青森県弘前市に1社、奈良県桜井市に2社、福岡県福岡市に1社の4社を訪れ現存していることを確認しています。この4社の他にも杉山神社があるかも知れませんね。
のぼさん
2016年09月16日 04時54分
それぞれで主祭神を確認されてるところなど、この取材力に感銘しております。私は杉山神社と房総の安房神社の祭神=天太玉命との関連を主張する説に賛成なのですが、そんな予断はともかく現存杉山神の全踏破を目論み、挫折した経験かあります。不遜ながら鶴見川流域の取材には、是非ともパシリとして同行させていあただけないでしょうか? 全社踏破を切に願います。――――天太玉命を祀る神奈川宿「州崎神社」氏子=のぼ
iwanさん
2013年02月16日 21時37分
前回のレポートに対し【「伊豆国土肥」と「相模国土肥」は異なる離れた場所です。伊豆国土肥は駿河湾に面する西伊豆にあり「とい」(静岡県伊豆市土肥)。相模国土肥は相模湾に面する湯河原にあり「どい」(神奈川県足柄下郡湯河原町土肥)】とコメント投稿した者です。 今回の記事では【蒔田の杉山神社由緒には「伊豆国土肥」と記されているが、前回のコメントでご指摘いただいたように「相模国土肥」が正しい】と訂正されておりますね。訂正のキッカケを作っておきながら恐縮ですが、本件を簡単に「正しい・正しくない」と断じるのは疑問です。 今回の記事では、該当古社の由緒を否定することになりかねません。個々の社寺にそれぞれの由緒があり、相違部分の「なぜ」の探求こそ郷土史の深遠さです。 既述を訂正なさる場合は丁寧な検証と謙虚な姿勢が肝要かと思えます。 …とは云え 萎縮なさることなく 果敢なレポートを期待しています。(横浜村在住)