歴史が不明な「日本ガソリンスタンド発祥の地」記念碑の真相は?
ココがキニナル!
横浜駅東口にある「日本ガソリンスタンド発祥の地」の記念碑。詳しい経緯が記されておらず、横浜で日本初のガソリンスタンドが開業したという文献もないそう。真偽が気になります(MRハニーさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「初のガソリンスタンドの場所」ではなく「輸入した灯油を溜めて販売する」というガソリンスタンド業務のようなことが行われた横浜油槽所の一画と思われる
ライター:橘 アリー
経緯が不明な記念碑
横浜には「日本で初めて」とされているものがたくさんあり、それらは、横浜開港資料館が発行している「横浜もののはじめ考」に記載されている。「日本ガソリンスタンド発祥の地」は、記念碑は建っているが、「横浜もののはじめ考」には載っていない。
横浜もののはじめ考(横浜開港資料館)
横浜開港資料館に問い合わせてみると、横浜がガソリンスタンド発祥の地かどうかについて、調査をしたことがないそうだ。横浜開港資料館の管轄は、横浜開港当時から大正時代までで、ガソリンスタンドは昭和時代になってからのことであろう、ということであった。
記念碑には詳しい経緯が記されていないようだが、それでも、何か手掛かりが見つかるかも知れないので、現地へ行ってみることに。
とても地味な記念碑
「日本ガソリンスタンド発祥の地」の記念碑は、横浜駅東口のプラザホテルの敷地の一画に建っている。
横浜駅東口方面から見たプラザホテル前
記念碑のほかにも同じような大きさの石がいくつか置かれていて、ぱっと見では、記念碑に気付きにくい。それほど大きくもないので、しゃがまないと、記念碑の文字を読みにくい。
「日本ガソリンスタンド 発祥の地」の記念碑
記念碑よりも横の石の方が大きい
記念碑には、「日本ガソリンスタンド 発祥の地(エッソスタンダート株式会社 取締役社長 八城政基氏記・昭和49年9月19日・横浜米油株式会社・社主 熊澤定吉建之)」と記されている。確かに、これだけでは経緯やいわれなどは分からない。裏や横も見てみたが、何も書かれていなかった。
記念碑の裏側の様子
周辺を探してみたが、やはり、記念碑の経緯やいわれが分かるようなものは何も無い。そこで、プラザホテルの方は何かご存じかもしれないので、聞いてみることに。
すると、プラザホテルは、記念碑に記されている「横浜米油株式会社」が経営しており、記念碑はプラザホテルを建設した際に建てたようであると教えていただけた。それ以上の事は分からないので、直接「横浜米油株式会社」に聞いてほしいとの事だった。
日露戦争時代のことだった?
さっそく、「横浜米油株式会社」の広報部に問い合わせてみた。
すると、記念碑は確かに、プラザホテル建設時に建てたものだが、経緯やいわれなどについては資料が残っておらず、当時の様子を知っている者もすでにいないので、詳しい事は何も分からないとのこと。
まだプラザホテルが建つ前の同場所には給油所がある。
1956(昭和31)年の地図
実は以前、エッソ石油が記念碑について調査したようだが、結局は分からなかったらしい。ただ、「日露戦争の頃のことではないか」という話を社内で伝え聞いたことがあるという。
そこで、その調査について、日本でエッソ、モービルブランドの使用権を有している東燃ゼネラル石油に問い合わせてみた。
すると、広報渉外担当者は、「以前、テレビ局が聞きに来たので調べてみたが、やはり分からなかった」と教えてくれた。
「日本ガソリンスタンド 発祥の地」が、「日本で初めてのガソリンスタンドがあの場所である」という意味ならば、それは違うと思われ、別の視点からの意味あいのものではないだろうかと話してくれた(日本初のガソリンスタンドは東京・外神田にあったと言われている)。
では、どういう意味を込めて記したものなのか。記念碑に記したご本人である八城政基氏にお伺いできればと思ったが、八城氏は、2010(平成22)年に新生銀行取締役会長を退任されていて、その後の連絡先は分からなかった。
八城氏がエッソ石油の取締役社長だった当時に書かれた著書