山下公園のモニュメントの歴史とモチーフを教えて!
ココがキニナル!
山下公園にあるオブジェが気になります。いつから鎮座されているのでしょう?周囲のモチーフも個性的で面白いです。(ぽぽ1さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
造られたのは1989(平成元)年。そのほかの各モチーフも含め、海をテーマにデザインされた! 近隣観光スポットにつながる導線の役割を果たしている。
ライター:一藁 雅之
横浜有数の観光地として知られる山下公園。そもそもの起源は関東大震災の復興事業として造られた公園である(詳細は過去記事を参照)。
そんな山下公園には、横浜が舞台の「赤い靴はいてた女の子像」や、復興記念として寄贈された「水の守護神」といったものを筆頭に、数多くのモニュメントが設置されている。
投稿のあったモニュメント
今回の投稿について、横浜市の環境創造局 公園緑地部の担当の方に話を伺った。
「この写真のモニュメントですが、何か詳しいことはわかりますか・・・?」
担当の細貝さん。山下公園で行われるイベントの管理や、申請の審査などが主な仕事
「こちらは『水の階段』の一部ですね」
何でも「水の階段」なるその場所は、1989(平成元)年に建設の話が出てきたらしい。そのときの資料を見せてもらいながら概要をお話しいただいた。簡単にまとめると以下のようになる。
そもそものきっかけは、この場所に駐車場を造る計画が始まり。しかし横浜を代表する公園として、殺風景な駐車場が目立ってしまわないようにすることが設計における課題となった。
まずは各種のイベントを行える「まつりの広場」。大型のステージやテントを設営できるスペースがあり、電源系統の設備も確保した。ミュージシャンの演奏ライブや、各種パフォーマンスなどに利用できるという。
山下公園のおおまかな地図
そして階段を上がったところにある「水の階段」。コバルトブルーの磁器タイルを張り、横浜らしい海のイメージを表現した。さらに道を進むと、さまざまな海の生き物たちが出現する。海の広さ、海の生き物、航海、世界とのつながりを思わせるデザインの数々が見所。
さらには山下公園の先にある「人形の家」や「港の見える丘公園」への導線とすることも大きな目的とし、ペデストリアンデッキ(ポーリン橋、フランス橋)を抜けて新たな観光ルートになる構想を立ち上げた。
つまり、横浜の魅力をもっと伝えられるスポットになることを目指して造られた一角であるというわけだ。
個性的なモニュメントをめぐる
今回は投稿にあるこの「水の階段」だけでなく、個性あふれるそのほかのモニュメントも調査してきた。せっかくなので、散策気分になってご一緒してほしい。
インド水塔/1939(昭和14)年
関東大震災で被災したインド人が、横浜市民から受けた援助の感謝と、震災で亡くなった同胞への追悼の意を込めて寄贈。
赤い靴はいてた女の子像/1979(昭和54)年、山本正道作
野口雨情の詩のイメージをモチーフに、「童謡赤いくつを愛する横浜市民の会」が設置。童謡「赤い靴」は、市民の誰もが知っている港町横浜にゆかりのある歌であるため、港に隣接する山下公園に設置することとなった。(詳しくは過去記事を参照)
ZANGIRI/1989(平成元)年、木村賢太郎作
神奈川県理容環境衛生同業組合、全国理容環境衛生同業組合連合会からの寄贈。
1869(明治2)年、山下町148番地に日本最初の西洋理髪店が開業したことを記念して建てられた。西洋理髪店も横浜発祥に数えられるものの1つ。モダンなテイストを知らない筆者や現代人にとっては、逆に目新しく感じるマジック。