横浜が生んだ大スター!斉藤由貴さんを徹底解剖!
ココがキニナル!
横浜が生んだ大スター!斉藤由貴さんってどんな人?
ライター:松崎 辰彦
東京練馬区にある東映東京撮影所。その中にある巨大な撮影スタジオでは、テレビ朝日で毎週水曜日夜9時から放映している「遺留捜査」の撮影真っ最中だった。
「遺留捜査」とは現場に残された遺留品から事件を解決に導く物語だが、そのドラマの中で女刑事を演じているのが、斉藤由貴さん。
1984(昭和59)年にデビューして以来、トップスターとして人々の注目を浴びてきた。女優・歌手としてのみならず、詩集やエッセイ、小説を発表するなど、文筆家としても高い評価を得ている。
横浜で生まれ育った彼女に、「はまれぽ」は注目しないわけにはいかない。忙しい撮影時間の合間、インタビュー時間をとっていただいた。斉藤由貴さんにとっての横浜とは何かを、探ってみたい。
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芸能界デビューが周囲の反感を買った
―斉藤さんは実際にお生まれになったのはどこなのでしょう?
横浜市神奈川区白楽にあった産院です。子どものころは内向的で人とかかわるのが苦手でしたね。絵を描いたりなど、一人でいることが多い少女時代でした。
斉藤由貴さん
男子にすれば格好のイジメの対象だったので、スカートめくりされたり、上履きを隠されたりといったこともありました。
―中高生時代は?
清水ケ丘高校(現・神奈川県立横浜清陵総合高等学校)に入学しましたが、本当にわがままで自分勝手でした。雨が降るともう学校を休んじゃうんです。母も「行かなくていいわよ、今日は雪が降っているから」とあっけらかんと言うような人でした。
母に言わせると、私は神経質でナイーブな部分が強くて、縛りつけたり拘束したりするのはよくないと思ったようです。ですから「なに言ってるの、行きなさい!」という言葉は一切なかったです。
―そんなときに弟さんがミスマガジンに応募して、優勝した。芸能界デビューですね。
いまはスクールカーストっていうんですか、当時もそれに近いものがありました。目立つ子、可愛い子、賢い子、不良っぽい子、みたいなすみ分けがあったわけです。その中で、私はクラスのふきだまりみたいなところで“目立たないように、目立たないように”ひとり地味に棲息していました。
ところがミスマガジンに優勝してカップラーメンのCMに出るようになって、一躍有名になってしまった。するとちょっと悪いグループの女の子、目立って格好いい男の子とつきあっている女の子なんかは、私に反感を持ったんです。
ミスマガジン時代の一枚(画像提供:講談社)
「何よ、あの子!」「本当はそういう子だったわけ?」みたいな。私も学校で真面目ならよかったんですが、すぐ休んだり遅刻したり、早退したりするものだから、私のことが癪(しゃく)に触る子はいたと思いますね。「芸能人ぶっちゃって!」なんてすれ違いざまに言われたこともあります。
―成績はどうでしたか?
得意な科目と苦手な科目の差が極端でした。国語や英語は塾なんかの全国模試でも上位何%に入るかということもあったんですが、数学は落第しかけたことがありました。
猛烈に忙しかった「スケバン刑事」時代
―斉藤さんのデビュー曲「卒業」の歌詞にあるような、好きな先輩のボタンをもらったという経験はおありですか?
ありました! 中学1年生の時に、仲のよかった部活の男子の先輩が、卒業のときに私が何も言わないのにボタンをくれました。ただ私はそういう習慣を知らなくて、もらう意味がわかりませんでした。
いろいろなことを隠さずにしゃべってくれる
―伝説のドラマ「スケバン刑事」時代はいかがでしたか。
あのドラマもちょうどこの東映撮影所で撮られたんですが、私はデビュー当時、ものすッごく忙しかったんです。今でこそ自分の作品をDVD で見直すとか、自分の出演した番組を観るとか、インタビューのゲラをチェックしますけど、当時はひたすら自分を出していくのが精一杯で、自分の仕事を見直すとかチェックするとか一切なかったです。
ですから「スケバン刑事」も撮影するのに必死で、視聴率が高いとか、当時ブームを巻き起こしているとか、何一つ知りませんでした。
―当時の斉藤さんの人気は群を抜くものがありましたよね。
親がひたすら心配していました。それまで高校生として夕方の4時や5時に学校から帰って来た娘が、朝6時か7時に迎えの車が来て、まるでさらわれるようにしてどこかへ連れて行かれ、帰ってくるのが毎日午前様。それで休みが1日もないという状況が続きましたから。