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帷子川の源流までってどうなってるの?

ココがキニナル!

横浜市内を流れる主な川の源流(水源地)を巡る旅、というのはいかがでしょうか(吉閥さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

帷子川源流のある旭区若葉台にたどり着くまでに、戦前の横浜を代表する大工場地帯跡や自然豊かな情景、歴史的スポットを通過する。

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ライター:ナリタノゾミ

全長約17キロメートル。
旭区若葉台を源流地点とし、保土ケ谷区、西区、神奈川区を通過して横浜港へと注ぐ、帷子川。

「帷子」との名称が付されたゆえんについて、平安時代に、この川で養蚕・麻による織物(帷子)が始められた際、川の水で織物が洗われたことにちなむ、という説が存在する。

街は川とともに、どのような発展を遂げ、記憶を積み重ねていったのか。
源流のある若葉台までを散策してみよう!

 


ビル群の間を流れる、悠然とした姿の帷子川(西区)




農村から工業地域へ。帷子川下流域の変遷



まずは、工業地域として発展した川辺町までを歩く。
 


河口から保土ケ谷区川辺町まで


スタートして間もなく、西平沼町を散策していると、「氷」と書かれた旗が目に入ってきた。
 


蒸し蒸しする夏の空に舞う「氷」の文字


氷販売会社「株式会社三光商会」(西区西平沼町1-26)では、純氷で作ったかき氷が販売されていた。
 


スタート早々ではあるが、遠慮なく甘味にありつく


味は、イチゴ・メロン・抹茶などさまざま。カップにたっぷりと入って100円。プラス50円で練乳のオプションがある。かき氷を片手に、先へ進む。
 


平沼橋のガスタンクを左手に望みながら川岸を進む


間もなくすると相鉄線・天王町駅前に行き着く。

江戸時代まで、保土ケ谷区の帷子川流域に点在する家々はほとんどが農家だった。にぎやかな旧東海道沿いの保土ケ谷宿と比較すると、同じ区内でも帷子川流域の村はひっそりとしていたようである。もっとも、天王町駅前は例外で、旧東海道と交わる地点にあったことから、かつてより大いに栄えた。
 


駅前商店街「シルクロード天王町」(旧東海道、帷子橋)


ちなみに、初代広重が描いた東海道五十三次の帷子橋といえば、保土ケ谷宿を象徴する大橋として認識されている。

かつての帷子川は現在よりやや南側を流れていたが、1964(昭和39)年の河川改修に伴い、旧・帷子橋は消滅した。現在の天王町駅前公園が旧・帷子橋の跡地である。
 


旧・帷子橋は長さ約27メートル、幅約5メートルの大橋(保土ケ谷宿再現イラスト:ナリタノゾミ)


さて、天王町を過ぎると、やがて川辺町に至る。

陸運と水運に恵まれていた帷子川下流域には、明治時代末期から、大小の工場が建設されはじめる。地域に大きな経済的利益をもたらした富士瓦斯(ガス)紡績工場、大日本麦酒株式会社(現・サッポロビール)の工場などもその頃に建設された。
 


川辺公園のアメニティ。かつて川辺町一帯は、富士瓦斯紡績工場の敷地で占められていた


1889(明治22)年、上星川に設立された日本絹綿(けんめん)紡績工場では、市内で採取された蚕のまゆから絹糸が製造されていた。

その後、同工場は、現在の保土ケ谷区役所の場所に移転すると、富士瓦斯紡績工場として生まれ変わり、川辺町一帯に敷地を拡大した。
 


ちなみに、三ツ境駅前には、ご神体が蚕という白姫神社がある。
横浜が蚕の生産地であったことをしのばせる


1924(大正13)年になると6000人もの労働者を擁し、「世界一の従業員数の紡績工場」と讃えられた。先のシルクロード天王町は、戦前まで、「保土ケ谷銀座」と称され、工場が誘致されたことによる経済効果で、大いににぎわったとか。

同工場は戦時体制が強化されると、兵器工場として使用されるが、戦火によって焼失する。その後、跡地には区役所や消防署、警察署が建てられ、同地は現在に至るまで、保土ケ谷区の中心地としての役割を担っている。
 


戦前の富士瓦斯紡績工場(横浜市史資料室)
 
 

富士瓦斯紡績工場の跡地、保土ケ谷区役所(保土ケ谷区川辺町)。
地下の「味奈登庵」では500円定食が人気!


1906(明治39)年に、現在のYBP(横浜ビジネスパーク)の場所に建設された大日本麦酒株式会社の工場も、地元に大きな経済的効果をもたらした。同社が製造していた清涼飲料水・リボンシトロンには、当初、神戸町を水源地とする帷子川水系の水が使用されていたそうだ。

1920(大正9)年になると、同社は日本ガラス工場となり、ビール瓶を製造した。瓶の材料となった珪砂(けいしゃ)は、地元・明神台から採取された。
 


団地群に挟まれる帷子川


第一次世界大戦がはじまると、保土ケ谷区の帷子川流域も空前の好景気を迎え、工業地域として、ますます発展するのだった。