横浜市営地下鉄関内駅に2番線と4番線しかないのはなぜ?
ココがキニナル!
横浜市営地下鉄関内駅は上りが地下3階、下りが地下2階の二層構造で、1番線と3番線がありません。ホームが横にならべられない理由は?使われていない謎のホームは何?(ねこぼくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
開通当初関内~山下町方面へ延伸計画を見込み「三層島式ホーム形式」を採用、計4つのホームを作ったが計画の廃止により不要な1番線と3番線が残った
ライター:三浜 詩央
以前よりはまれぽでも多く解決されてきた、鉄道に関するキニナル。いままでグルメネタが多く、自分の好きな普段着で食べてばっかりいた三浜だが、今回はピシッとした服装で取材先へ。まずは現地へ向かい、その不可解な構造をしているというホームを見てみることに。
たしかに謎の多い、地下鉄関内駅のホーム
横浜駅から横浜市営地下鉄ブルーラインに乗り、関内駅へ。降り立ったのは2番線、湘南台方面行きのホーム。ここは地下2階だ。改札口へ向かうなら地下1階へ、折り返すのならば地下3階にある4番線、あざみ野方面行きのホームへ行かなければならない。
上大岡・湘南台方面の2番線。向かい側は壁に見えるが・・・
端まで行くと、謎の出っ張りがあった
これが現在関内駅にはない、元・1番線なのだろうか。続いて地下3階にある横浜・あざみ野方面行きのホームへと向かうと・・・
やはり4番線しかない
向かい側を見ると、なんと工事中だった
2014(平成26)年まで解体工事中とのこと。仮設の壁に覆われ、中の様子を確認することはできなかった。
駅員さんに尋ねると、工事に入る前は鉄柵が設置されており、鉄柵越しにがらんとした線路の様子を見ることができたという。この4番線の向かい側に見えた線路が、キニナルにもあった「使われていない謎のホーム」もとい、3番線なのだろう。
地下2・3階ともにホームの片側しか機能していない(画像:横浜市交通局HPより)
乗降口が2つで足りるならば、なぜ同一階でホームを作らなかったのか。現在の関内駅では、地下2階建ての二層構造にする必要性がないようにも思われる。謎を解き明かすべく、横浜市交通局へと向かった。
「頓挫」ではなく「廃止」となった、かつての延伸計画
今回お話を伺ったのは、横浜市交通局技術管理部建設改良室建設改良課長の佐々木さんと、以前「都筑区では地下鉄が地上を走っているのはなぜ?」でもお世話になった、計画係長の福岡さんだ。
丁寧に説明をしてくださった佐々木さん(左)と福岡さん
「ずいぶんさかのぼった話になりますが、この本に当時のことが書いてありました」と福岡さん。出してくださったのは『横浜市高速鉄道建設史』という一冊の本だった。
横浜市内の図書館で、誰でも閲覧することができる
『横浜市高速鉄道建設史』によると、話は約50年前にさかのぼる。
1963(昭和38)年、飛鳥田一雄氏が横浜市長となり、「綱島~鶴見間の地下鉄建設」や「港北ニュータウン計画」を推進。同市長はやがて「六大事業」を打ち出し、(1)都心部強化事業(2)金沢地先埋立事業(3)港北ニュータウン建設事業(4)高速鉄道建設事業(5)高速道路網建設事業(6)横浜港ベイブリッジ建設事業これらの6つを市政運営の基本構想とした。このうちの(4)高速鉄道建設事業というのが、今日の横浜市営地下鉄の出発点となる。
高速鉄道建設の初期構想はこの2ルート(Googleマップより)
1965(昭和40)年10月、六大事業構想は「横浜の都市づくり、市民がつくる横浜の未来」として市長から市民への提案という形で示される。そのなかで、高速鉄道建設についても具体化に向けて計画案が示された。
初期構想案では、
1.荏田付近~綱島付近~鶴見駅付近(図の青線)
2.綱島付近~新横浜駅付近~横浜駅付近~桜木町・関内駅付近~戸塚付近~長後駅付近(図の赤線)
以上の2ルートを建設予定地とし、それぞれ現在の港北区・緑区を鶴見区と結び、新幹線新横浜駅・港北ニュータウンと市中央部を結ぶ、といった役割を見込んでいた。
翌年には都市交通審議会において同案がほぼ同一ルートで答申され、以後これを原案に計画を進めていくこととなる。