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花月園競輪場の跡地は今後どうなるの?

ココがキニナル!

花月園の敷地の予定は?(リョー☆サンさん)

はまれぽ調査結果!

防災公園整備と市街地整備を一体的に推進する「防災公園街区整備事業」の方向で、神奈川県、横浜市、UR都市機構が現在調整を続けている

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ライター:伊藤 健志

花月園競輪場跡地に関連するキニナルは、以前からかなりの数の投稿が寄せられている。著者もかつて、最寄り駅であった京浜急行線花月園前駅の隣駅である生麦に住んでいたことがある。初めて開催日の夕方に乗り合せた時には、勝負に負けたであろう観客たちが、空席を求めて乗り込んでくる様に驚愕したものだ。
 


熱気溢れるレースが見ものだった(「花月園観光30年史」より)



花月園競輪場は、1950(昭和25)年5月、神奈川県による県営の競輪場計画に基づき、県が買収した旧花月園遊園地跡地に開設。これは場外施設を除けば、横浜市唯一の公営競技場であった。なお、施設所有は花月園観光株式会社で、実施は日本自転車競技会本部競技部(旧・南関東自転車競技会)となる。
 


創設初期の花月園競輪場(『花月園観光30年史』より)


そんな花月園競輪場も、ここ数年来の収益悪化により、2010(平成22)年の3月31日をもって開催を廃止し、約60年の歴史に幕を閉じた。以来、地元住民の間には、確かな情報も提供されないまま、いまもほぼそのままの姿で施設が残されているという。



確かに、施設はそのままの姿で残されていた



まずは、現在の競輪場がどうなっているのか? とにかく一度見に行ってみることにした。花月園前駅を降り、2階の改札から連なる跨線橋を超えて跡地に向かうと、道路沿いには「ようこそ 花月園競輪場」の大きな看板がお目見えする。
 


当時の競輪開催日を知らせる看板がそのまま残っている


また、競輪場へ向かう急な登り坂には、横浜市が立てた広域避難場所の案内板や、鶴見区役所が立てた「花月園」という名前の由来案内板なども残されたままになっている。
 


 

広域避難場所の看板(上)と、花月園の由来を解説する案内板


さらに登り坂の中腹まで来ると、広い敷地が現れ、その奥には、競輪場へと続く登り階段が見えるのだが、丘陵高台に位置する競輪場(バンク)は一番高台に作られているらしく、この地点からでは中の様子を伺うことはできない。しかし、施設内の通り抜けはもちろん、競輪場へと続く施設の脇道も通行止めの看板が立てられていたため、これ以上の進入は止めておいた。
  


競輪場の通用門に続く広い敷地の前には、立ち入り禁止を促す立て看板が