子安通り1丁目児童公園に佇む八重地蔵。その背景にある悲しき出来事とは?
ココがキニナル!
子安通り1丁目児童公園という、道路にそって作られた公園があります。そこに祀られたお地蔵さんの名前は八重地蔵・・悲しい出来事があったそうですが、風化させぬよう、取材をお願いいたします。(三浦虎次郎さん)
はまれぽ調査結果!
八重地蔵は近所に住む岡澤八重ちゃんが事故で亡くなったことをきっかけに建立されたもの。かたわらに説明板も設置されている。
ライター:松崎 辰彦
児童公園隣にある「八重地蔵」
横浜市神奈川区子安通り。かつてはまれぽでも取材した太陽油脂からもほど近いこの漁師の町で、投稿にある八重地蔵はやさしくたたずんでいる。
近くの歩道橋の上から子安通り付近を眺める
囲いに被われ、平和な、静かな表情で合掌している。赤い前掛けが目にしみる。
合掌する八重地蔵
この地蔵は今から50年近く前にあった、ある悲しい出来事がきっかけで建立されたものである。半世紀前の悲劇を振り返り、命の尊さを考えるきっかけとしたい。
地蔵があるのは子安通り一丁目にある児童遊園地の隣。京急子安駅を降りて第一京浜を東京方向に進み、右に折れて少し進むと「子安通り一丁目 児童遊園地」と記された小さな遊び場に行き当たる。
児童遊園地に行き着く
その隣の小さな場所にあるのが八重地蔵で、ベンチと地蔵の由来を示した説明板が設置されている。
八重地蔵 花が活けられている
説明板
1964(昭和39)年8月5日午前6時20分ごろ、子安通り一丁目に住んでいた岡澤八重ちゃん(当時5歳)は近所の路上で行われるラジオ体操に参加するために、兄や姉とともに家を出た。
岡澤八重ちゃん 享年5歳
一度は会場に着いたが、前日母親に買ってもらったサンダルに履き替えようと再び家に帰り、あらためて一人で家を出て会場に引き返す途中、急発進したトラックにひかれ、死亡した。
神奈川新聞1964(昭和39)年8月6日付け
──説明板には八重ちゃんがトラックにひかれて亡くなったこと、そしてそれがきっかけで八重地蔵が祀られたことが記されている。