子安通り1丁目児童公園に佇む八重地蔵。その背景にある悲しき出来事とは?
ココがキニナル!
子安通り1丁目児童公園という、道路にそって作られた公園があります。そこに祀られたお地蔵さんの名前は八重地蔵・・悲しい出来事があったそうですが、風化させぬよう、取材をお願いいたします。(三浦虎次郎さん)
はまれぽ調査結果!
八重地蔵は近所に住む岡澤八重ちゃんが事故で亡くなったことをきっかけに建立されたもの。かたわらに説明板も設置されている。
ライター:松崎 辰彦
道路が不法占拠されていた
現場は以前から付近に住む廃品回収業者が不法に鉄屑を放置し、道路を大きく占拠していた。
八重ちゃんは停車していたトラックの脇をすり抜けて前に出たが、鉄屑に足をとられて転倒し、発進したトラックにひかれたと当時の新聞は記している。
運転手は買い物をするために停車していたところ、後ろからきた車にクラクションを鳴らされてあわてて車に乗り込み発進させ、前にいた八重ちゃんをひいてしまったのだという。
当時の読売新聞
八重ちゃんはその年、幼稚園に入ったばかり。8月1日から15日までの期間中休まなければごほうびがもらえるというので、出席カードに印が増えるのを楽しみにこの日まで無欠席だった。
八重ちゃん 富士見橋で
現在の富士見橋
事故直後、現場は混乱し、住民はその日のうちに警察や市当局に駆け込んだ。即日、土木局次長が道路の半分を子どもの遊び場として使うことを認可した。
近所の人たちは以前から再三、鉄屑を撤去するように業者に申し入れていたが無視された。警察も何度か取り締まりを行い、業者を道路交通法違反で書類送検するなどしていたが、一度撤去しても数日すれば再び鉄屑が積み上げられていたとのことで、そうした違法な道路使用が背景にあっての事故だった。
こうした経緯のすえ、この場所が子どもの遊び場として整備され、翌年の1965(昭和40)年、八重ちゃんの死を悼んで「八重地蔵尊」が建立された。
「昭和四拾年一月十日 八重地蔵尊 岡沢八重」の文字が見える
近所の人が集まった
地蔵が建立されて
近所の漁師の奥さんたち 一番左が母親の節さん
八重地蔵尊