横浜市内で除夜の鐘がつけるお寺を教えて!
ココがキニナル!
もう師走・・・大晦日も間近ということで、横浜市内で除夜の鐘をつかせていただけるお寺さんがあれば、取材をお願いします。(町田県民さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
創建が鎌倉時代の古刹(こさつ)杉田「東漸寺(とうぜんじ)」と地元商店街が盛り上げる山手「西有寺(さいゆうじ)」寄り道で金沢町「称名寺」へ
ライター:ほしば あずみ
「除夜の鐘がつける寺」と聞いて思い浮かべるのは、近隣の川崎市の「川崎大師」や鎌倉市の「建長寺」をはじめとする数々の古刹だし、横浜の年越しといえば「除夜の汽笛」が有名だ。「日本の音風景100選」にも選ばれた、年越しの風物詩。
では、横浜市内で「除夜の鐘がつける寺」はどんなところがあるのだろうか。除夜の鐘がつけるお寺として、はまれぽではこれまで菊名の蓮勝寺や鶴見の建功寺、山手の妙香寺などを紹介している。
鶴見の建功寺の幻想的な「万燈(まんとう)除夜の鐘」(画像提供:建功寺、2010年)
今回は、開創700年以上の古刹、磯子区杉田の「東漸寺(とうぜんじ)」と地元商店街が一丸となって盛り上げる中区大平町の「西有寺(さいゆうじ)」を訪ねてみる。また、今は除夜の鐘をつくことができないが、かつて一晩で1000回も鐘をついたという鋳造から710年を超える金沢区金沢町の「称名寺」の鐘も紹介したい。
国の重要文化財の鐘(の、レプリカ)がつける(磯子区/東漸寺)
JRとシーサイドラインが乗り入れる「新杉田駅」と京急「杉田駅」に挟まれるような位置にある「霊桐山(れいとうざん)東漸寺」。
臨済宗建長寺派のお寺で、室町幕府によって鎌倉五山に次ぐ寺格とされた関東の臨済宗の「関東十刹(じっさつ)」で第7位に列せられた。由緒は鎌倉時代にまでさかのぼり、初代執権北条時政の5代孫の北条宗長を開基とする、開創700年以上にもなる古刹である。
「杉田のお釈迦様の寺」と親しまれる東漸寺の山門
本尊の釈迦像を安置する仏殿(釈迦堂)は、改修、復元されたものながら、国宝で知られる円覚寺舎利殿よりも古い時代の禅宗建築様式を伝える貴重な建造物で、県の重要文化財に指定されている(釈迦堂は年に一度、4月8日の「花まつり」以外は非公開)。
この釈迦堂の中に、国の重要文化財に指定された「永仁(えいにん)の鐘」も安置されている。
日本最古の禅宗様式を今に伝える釈迦堂
「永仁の鐘」は1298(永仁6)年に鋳造された梵鐘(ぼんしょう=つりがね)で、当時の関東で最も優れた鋳物師、物部国光(もののべくにみつ)の作。
物部国光の作った梵鐘は現在5口が現存しており、いずれも国の重要文化財に指定されている。そのうち鎌倉の円覚寺にある「洪鐘(おおがね)」は国宝である。
除夜の鐘でつけるのは「永仁の鐘」のレプリカ
住職の酒井さんによると、除夜の鐘は大晦日の23時より開始。人数制限などはなく、例年300人以上が訪れて鐘をついているそう。だいたい1時くらい、列がとぎれた時点で終了となるので鐘をつきたい方はお早めに。境内では甘酒もふるまわれる。
複製とはいえ中世の歴史を感じることができるおごそかさがある
かつて1000回鳴ったあの鐘を鳴らすのは・・・(金沢区/称名寺)
ところで、5口現存する物部国光作の梵鐘のうち1口があるのが、金沢文庫の「金沢山称名寺(きんたくさんしょうみょうじ)」である。
真言律宗のお寺として開かれた称名寺
東漸寺より10数年前に、やはり北条氏によって開かれたお寺で、物部国光の鐘のほか、山と海の美観を背景とするなど共通点も多い。
どちらも、当時政治の中心だった鎌倉の背後の備えとして建てられ、五山文学という、禅宗寺院で行われた禅僧や武士たちの漢文学の学びの場となった。
称名寺の梵鐘も国の重要文化財
称名寺の鐘は「金沢八景」のひとつ「称名晩鐘(しょうみょうばんしょう)」として名高い
鋳造から710年を超える称名寺の鐘は、近年まで大晦日には一晩でおよそ1000回鳴らされていた。だが鐘の老朽化から保存を第一に考え、2011(平成23)年から除夜の鐘は中止されてしまった。
東漸寺のようにレプリカをつくり、隣接する中世歴史博物館、県立金沢文庫に実物を保管することも検討されたが、「本物の鐘は鐘楼(しょうろう)にあるべき」との考えから見送られたそうだ。
いまは除夜の鐘をきくことはできないが鋳造から710年経った鐘に思いをはせてみる