横浜にこんなすごい会社があった!Vol.6「信号システムなどのトップメーカー株式会社京三製作所」
ココがキニナル!
横浜にこんなすごい会社があった! 第6回は私たちの身の回りにあって安全や快適性を守ってくれている信号システムなどのトップメーカー「株式会社京三製作所」をご紹介!
ライター:吉田 忍
京三製作所と聞いてピンと来る方は、その業界関係以外ではおそらく鉄道マニアだろう。そのほかのほとんどの方は初めて耳にする会社だと思うが、交通管理や鉄道信号などに数多くの世界初や日本初がある、信号保安システムのトップメーカー。
株式会社京三製作所(資本金62億7030万円、従業員数1809名〈連結〉)は、横浜市鶴見区にある。現在はマンションになっているが、かつて大型屋内温水プール施設、ワイルドブルーヨコハマがあった場所の隣。
株式会社京三製作所 本社
交通管理システム
まずは、交通管理システムのお話を伺った。こちらの部署は現在、鶴見川沿いの上末吉にあるが、近々本社の敷地に移転する予定だそう。
この部門の製品は、交差点などにある信号機そのものから、走行する車両の交通情報を収集分析し、刻々と変化する交通状況に応じた最適な信号制御を行い、またその情報をドライバーに提供する「交通管制システム」にまで及ぶ。
交通管制センター(※画像提供 株式会社京三製作所)
信号機が設置される前は警察官が手信号で交通整理を行っていた。日本に初めて灯火式信号機が設置されたのは1930(昭和5)年、東京の日比谷交差点で、アメリカのレイノルズ社製だったが、その翌年には京三製作所の信号機が東京・日本橋などに設置されている。
信号制御機第1号(AT-1)(※画像提供 株式会社京三製作所)
1931(昭和6)年当時の信号機(※画像提供 株式会社京三製作所)
当初は信号の青、黄、赤の意味さえ周知されていなかったので、それぞれの色と共に、「進メ」「注意」「止レ」の文字も並記されていた。
丸の内交差点には京三製の縦型の信号灯器が設置された(※画像提供 株式会社京三製作所)
当時の信号制御機 AT-54型信号制御機(※画像提供 株式会社京三製作所)
4面にランプがあり、交差点の真ん中に設置されていた(※画像提供 株式会社京三製作所)
信号はご存じの通り、青、黄、赤の3色のランプで交通を制御するものだが、当初は個々の信号が一定時間で切り替わるものだった。
1964(昭和39)年、京三製作所が国産初の自動感応系統式交通信号機を開発。これはセンサーが走行車両を感知して、交通量や混雑状況に応じた信号制御を行うもの。
お話を伺った交通機器事業部 副事業部長の風間洋博士(工学)
「昭和30年代は、交通事故死者数が日清戦争での日本の戦死者を上回る勢いで増加したので、交通戦争と呼ばれたんですよ」と、風間さん。