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JR南武線の武蔵小杉から武蔵溝ノ口まで、4駅連続で「武蔵」が頭に付く理由とは!?

ココがキニナル!

南武線の武蔵小杉-武蔵中原-武蔵新城-武蔵溝の口と4駅連続で武蔵がつくけど由来は?(nachof さん、hi-ta さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

理由を明確にした資料を見つけることはできなかったが、すでに地名の駅が存在しており、混乱を避けるため頭に旧国名の「武蔵」を冠したものと思われる

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ライター:吉田 忍

南武線は川崎駅から立川駅を結ぶJR東日本の鉄道路線である。26の駅があるが、駅名に「武蔵」のつく駅名が4駅あり、その4駅が連続している。
川崎方面から武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝ノ口と続く。
 


武蔵○○駅が4駅連続する南武線


南武線は1927(昭和2)年3月9日に「南武鉄道」として開業した私鉄。その後、1944(昭和19)年4月1日に戦時買収私鉄指定となり、国有化され南武線となった。

南武鉄道開業当時、「武蔵溝ノ口駅」「武蔵新城停留場」「武蔵中原駅」の3駅は当初から開業しているが、現在の武蔵小杉駅の場所に駅はなく、開業のおよそ8ヶ月後の11月1日に「武蔵小杉停留場」として開業している。武蔵小杉駅に関しては、以前はまれぽの記事で詳しく紹介しているので、ご覧いただきたい。

さて、この4駅に「武蔵」がつく理由だが、一般的に駅名をつける際には混乱を避けるために同じ駅名はつけないはずだ。同じ駅名があると切符を買うときなどに間違いが起こる可能性がある。これら4駅の駅名には「武蔵」がついているが、周辺の地名は、それぞれ小杉、中原、新城、溝口であり、もともと武蔵がつく地名ではないことも念のために確認。

まずは、これら4駅名から「武蔵」がつかない小杉、中原、新城、溝口という名称の駅が存在するかどうかを調べた。

ついでに「武蔵」以下の地名の由来もひも解いてみた。
 


「武蔵」をとると同名の駅が存在するのだろうか?



まず「武蔵小杉」から見ていこう。「武蔵」がつかない「小杉駅」は、JR北陸本線の駅で、富山県射水市三ケ(さんが)にある。開業は1899(明治32)年で、こちらの方が「武蔵小杉」より古い。
 


富山県に小杉駅があった (※Googleマップより)


武蔵小杉の小杉は、江戸時代に中原街道の小杉宿として栄えたところなので、それ以前から小杉という地名であった。現在も小杉陣屋町、小杉御殿町(徳川将軍家の宿泊施設があった)など、当時を思わせる町名がある。
 


2013年度周辺の地価上昇率No,1の武蔵小杉駅
 

小杉御殿町の由来、徳川家の御殿があったことを示す碑


この御殿があった場所は、敵が攻めにくいように中原街道がクランク状に曲げてあったのが今もそのままに残っている。
 


クランクに近い西明寺のあたりに御殿があったようだ (※Googleマップより)



今もクランクになっている中原街道(現在直線道路工事が行われている)

次に「武蔵中原」。「武蔵」がつかない「中原駅」は長崎本線の駅で佐賀県三養基(みやき)郡にあるが、「なかばるえき」と読む。有名な弥生時代の吉野ヶ里遺跡の近く。中原駅の開業は1891(明治24)年なので、やはりこちらの方が古い。
 


佐賀県の中原駅 (※Googleマップより)


武蔵中原の「中原」は、川崎市中原区の中原。これが中原街道の名前の元かと思っていたのだが、今回の取材で実は逆だったことを知った。中原街道は平塚の中原(現在の神奈川県平塚市御殿)に至る街道であることから名づけられたもの。つまり、川崎市の中原という地名は「中原街道が通っているから中原になった」のだ。
 


武蔵中原駅


川崎市中原区のもととなった中原村は、市制・町村制の施行により1889(明治22)年に誕生した。橘樹(たちばな)郡の上丸子村、小杉村、宮内村、上小田中村、下小田中村・新城村が合併し、新しい村の名を「中原街道」にちなんで「中原村」としたもので、明治になってからの地名だった。
 


中原街道に旧中原村役場跡の碑がある


中原街道は東海道と比べるとマイナーなように感じるが、実は東海道は江戸時代になってから整備されたもの。中原街道の歴史は古く、徳川家康が駿府(すんぷ)から江戸へ入るときに中原街道を使ったと伝わり、平塚とこの地に御殿を作るなど徳川家は頻繁に利用していた。

「武蔵新城」はどうだろう。「武蔵」のない「新城駅」は、「しんしろえき」と読み、愛知県新城(しんしろ)市にあるJR飯田線の駅。駅の開業は1898(明治31)年と、これも古い。
 


愛知県の新城駅 (※Googleマップより)


「新庄駅」もある。漢字は違うが読みは同じ「しんじょう」で、こちらはご存知の方も多いと思うが、山形県新庄市の市の名がついた駅で山形新幹線も停車する。こちらは1903(明治36)年6月11日の開業。
 


山形の新庄駅  ※googleマップより


では、武蔵新城の新城はというと、この地名は平安時代にさかのぼり、近隣に存在した「稲毛庄(稲毛氏の荘園)」に対して新しく開かれた地を「新庄」と呼び、後に文字が転じたものと伝えられている。
 


武蔵新城駅



最後は「武蔵溝ノ口」。「溝ノ口」という駅はないが、真ん中の「ノ」がない「溝口駅」が兵庫県姫路市のJR播但線にあって「みぞぐちえき」と読む。この駅は、1898(明治31)年3月28日の開業で、やはり古い。
 


兵庫県の溝口駅 (※googleマップより)


また、鳥取県のJR伯備線には「伯耆溝口駅」(ほうきみぞぐちえき)という駅もあり、1919(大正8)年8月10日の開業で、すでに「溝口駅」があったので「伯耆」をつけたと思われる。
 


鳥取の伯耆溝口駅 (※googleマップより)


上記の2駅ともに「溝口」で「みぞぐち」である。「溝ノ口」と表記し、「みぞのくち」と読むのであればあまり混乱はなさそうに感じるが、川崎のこの地の正式な表記は「溝口」で、「みぞのくち」と読む。
 


武蔵溝ノ口駅


南部鉄道開業前の計画では「溝ノ口」という駅名が予定されていたが、「溝口駅」がすでに存在したので、開業時直前に混乱を避けるために「武蔵」をつけることになったという。

ここ、武蔵溝ノ口は、とてもややこしいところで、歴史的には南北朝末期の文書に「溝ノ口郷」と初出し、戦国時代の文書には「稲毛溝之口」と載る。その後、江戸時代には「溝の口村」となり、明治になって「溝ノ口」と表記するようになった。
しかし、現在、川崎市の行政地名では「溝口」と書いて「みぞのくち」と読み、東急田園都市線の駅名と東急バスは「溝の口」で、市バスは「溝口」となっている。
 


とてもややこしい「みぞのくち」


ということで、これら4駅の「武蔵」以下の地名はもともとの駅周辺の地名だった。しかし、同じ地名の駅がすでに存在したので「武蔵」をつけたようだ。

そして、この南武鉄道は開業時は私鉄だったが、国鉄との直通運転の可能性があったらしい。その点でも国鉄の駅名との重複を避けることが意識されたと思われる。

では、次になぜ「武蔵」をつけたのだろうか。