野毛なのに成田山? 建て替え中の西区の成田山横浜別院が造られた経緯とその後は?
ココがキニナル!
横浜の成田山の別院はどういう経緯で作られたのか、現在建て替え中だがいつどのような建物ができるのか、地元住民の通行路で子どもの遊び場の境内がどうなるのか、キニナル(行方不明さん、ねむねむさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
千葉まで行くのが大変で横浜に別院を作ってほしいという横浜市民の要望があったため。新しい本堂はバリアフリー化が行われ2015年の夏ごろ完成予定
ライター:橘 アリー
横浜で親しまれている寺院
野毛のお不動さんと呼ばれて親しまれている、西区「成田山横浜別院」。
2007(平成19)年の節分会の時の様子
横浜市民の「成田山横浜別院」への関心は高く、今回の調査は、3件のキニナル投稿によるもので、“横浜に成田山の別院が作られた経緯”と、“現在改修工事中の本堂はどのようになるのか”という内容。
確かに、千葉にある成田山の別院がなぜ横浜にあるのか、改修後はどのようになるのか、キニナルものだ。
そこで、別院について調べる前に、まずは、成田山新勝寺について同寺のホームページなどを参照し、触れておくことに。
8つの別院がある!?
成田山新勝寺の宗派は、真言宗で、ご本尊は密教特有の「不動明王」である。
成田山新勝寺HPより
開山は、平安時代のこと。
939(天慶2)年の平将門の乱の時、真言宗の僧である寛朝(かんちょう)が、弘法大師が自ら開眼(かいげん/仏像に魂を入れること)した不動明王像を持って京都から来て、成田の地で護摩(ごま)を焚いて乱が鎮まるように祈願した。祈願の最後の日に平将門が敗北して、関東に再び平和が訪れた。
そして、寛朝が京都へ帰ろうとした時「この地に留まるように」と不動明王像のお告げがあり、成田山新勝寺が開山されたという。
「初詣は成田山新勝寺~♪」というCM通り毎年多くの人が訪れる(提供:成田山新勝寺)
不動明王の御真言を唱えながら、一斉に心願成就を祈るそうだ(提供:成田山新勝寺)
正月の三が日は、本堂の中は、このように人で埋め尽くされる(提供:成田山新勝寺)
そして成田山新勝寺には、横浜も入れて8つの別院(本寺の支院として別の所に建てられた寺院)がある。
東京別院(成田山深川不動堂) | 川越別院(成田山本行院) |
札幌別院(成田山新栄寺) | 横浜別院(成田山延命寺) |
函館別院(成田山函館寺) | 大阪別院(成田山明王院) |
名古屋別院(成田山大聖寺) | 福井別院(成田山九頭龍寺) |
ほかにも12の分院、14の末教会がある
次に、現在改修工事中の「成田山別院」はどのような様子なのか、現地へ行ってみた。
改修中の様子は?
「成田山横浜別院」のホームページによると、工事中は、境内から伊勢山方面への通り抜けができないようだ。
工事期間中の案内図の様子
工事前は、階段の下から本堂を見上げると本堂が見えたが・・・
今は、本堂がないためか、「成田山」と書かれた赤い幕がやたらと目立つ
赤い幕を潜って行くと、仮本堂があり、その前が工事用の単管パイプで囲いが作られている。
シートが張られていて、雨が降っても濡れないようになっている
隅の方には、おみくじを結ぶ所もある
狭いが、大師堂もあり、弘法大師の像を間近に見ることができる
本堂では、ご祈禱が行われていた
本堂前には、御護摩の受付けなどを行う場所がある