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戸塚区の「鉄砲宿」、ヘビ殺しのために使った「鉄砲」が名前の由来だってホント?

ココがキニナル!

戸塚区に鉄砲宿と言う地名があります。歴史的な理由があるのでしょうか?私の予想では将軍家へ献上する鉄砲を運ぶ中継地点だったのではないかと。(たこさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

江戸時代の文献上に名前は登場するが由来は示されていない。鉄砲を運ぶ中継地点だったかは不明だが影取池にすむ大蛇を鉄砲で退治したからなど諸説あり

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ライター:ほしば あずみ

それを猟師が鉄砲で撃って



由来がキニナル地名、「鉄砲宿(てっぽうじゅく)」。住所表記上は戸塚区影取町(かげとりちょう)、神奈中バスのバス停や、交差点の名称に使われている。
 


「鉄砲宿」バス停は、藤沢駅北口からバスで10分ほど
 

バス停は戸塚区と藤沢市の市区境に近い(Googleマップより)
 

火事で焼失した俣野(またの)別邸を庭園に整備した、俣野別邸庭園の最寄りのバス停でもある。
バス停を利用している人に「鉄砲宿」の由来を知っているか尋ねてみたが、この日は知っているという人はいなかった。
 


鉄砲宿の由来を知っている人はいなかった

 
戸塚区のホームページには、「広報よこはま戸塚区版」で区内の名所や旧跡を紹介していた「タイムトンネル」というコラムのバックナンバーがあり、実はそこで鉄砲宿の由来も紹介されている。

「町名に残る不思議な大蛇の物語」によると、いつのころか、「踊り念仏(踊りながら念仏を唱える)」で知られる時宗総本山遊行寺(ゆぎょうじ)近くの、森というお金持ちの家で、「おはん」という名の大蛇が飼われていたという。
あまりに大食いなので、近くの池に捨てたところ、空腹のあまり「おはん」は池に映る旅人の影を飲みこむようになった。
 


大蛇が影を取るから池は「影取池」とよばれるようになった(イメージ)

 
そして影を取られた人は数日のうちに命を落とすという噂が広まり、困りはてた村人が、鉄砲の名人に退治を頼む。
名人が池に向かって「おはん」と呼びかけると、懐かしい森家から迎えが来たと思って大蛇が姿を現した。そこを狙って鉄砲が放たれ、大蛇は撃ち殺された。
 


大蛇が鉄砲で撃たれたあたりが「鉄砲宿」になったという(イメージ)

 
人の影を飲みこむ大蛇が潜んでいた「影取池」は「影取」の地名のもとになったとされ、池があったのは現在の国道1号線と藤沢バイパスの分岐点から東南に約100メートルの付近といわれている。
 


影取池があったといわれる辺りは確かに谷状になっている

 
そしてもう一ヶ所、影取池の場所とされる地がある。影取町にある諏訪神社の奥だ。

 


国道1号線沿いの諏訪神社

 
神社の案内板によると、1907(明治40)年に山谷仲町(さんやなかまち)からこの辺りに移転、周辺が鉄砲宿と呼ばれているから戦の神である諏訪神社を祀るようになったといわれている。そして、影取池はこの神社の奥にあったという。
また、この諏訪神社は鉄砲宿の由来を、「鉄砲の練習場があったから」としている。
ただし「鉄砲の練習場」というのは口伝のようで、文献上で確認することはできない。
 


諏訪神社の奥に進むと谷に行き当たる。水はたまりそうだ

 
諏訪神社は蛇をご神体として祀る神社でもある。何か関係がありそうだが確証はない。

文献上ではどのように記載されているか、1841(天保12)年編纂された地誌『新編相模国風土記稿(以下風土記稿)』を紐解いてみる。
すると、「鉄砲宿」は東俣野村の小名(こな/さらに細かい住所表示)として記載されているが、由来などは特に記されておらず、あくまで地名のひとつ。
「影取」は山谷新田(さんやしんでん)という御料所(幕府の直轄領)の小名にある。その由来については、「昔池があり、怪魚が住んでいた。夕陽で池にかかる旅人の影を食うので影取の名が残ったという」と記されている。
 


え? 魚?

 
『風土記稿』には蛇も鉄砲も出てこないし、編纂(へんさん)された時点で「昔池があり」と書かれていることから池も残っていないようだ。大蛇が影を取っていたのははたしていつの時代なのか。少なくとも、影取り蛇の伝説が語られるより前から、鉄砲宿という地名があったことは確かである。