戸塚区の「鉄砲宿」、ヘビ殺しのために使った「鉄砲」が名前の由来だってホント?
ココがキニナル!
戸塚区に鉄砲宿と言う地名があります。歴史的な理由があるのでしょうか?私の予想では将軍家へ献上する鉄砲を運ぶ中継地点だったのではないかと。(たこさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
江戸時代の文献上に名前は登場するが由来は示されていない。鉄砲を運ぶ中継地点だったかは不明だが影取池にすむ大蛇を鉄砲で退治したからなど諸説あり
ライター:ほしば あずみ
鉄砲は将軍家へ献上されていたのか
また、影取には「立場(たてば)」があったことも記されている。立場とは宿場と宿場の間に設けられた休憩スポット。保土ヶ谷宿と戸塚宿の間の難所、権太坂をのぼりきった武相国境の「境木立場(さかいぎたてば)」などが知られている。
東海道の道中図、「東海道分間絵図」にも「影取立場」は描かれており、小茶屋があった様子がわかる。
菱川師宣の「東海道分間絵図」(1690<元禄3>年刊)の影取付近に加筆したもの
よく見ると鉄砲宿? らしい町並みもある
影取立場は藤沢宿から26町(約2.8キロ)の距離。投稿者の予想にあるような「将軍家へ献上する鉄砲を運ぶ拠点」が、宿場と立場のわずかな距離の間にあるのは考え難い。
実際、そのような拠点があったという記述を見つけることもできなかった。
横浜の歴史を藤沢から眺めると
ところで、地理的にも近いためこの伝説は藤沢にも伝わっている。藤沢市のホームページにも詳しく載っていたので、教育委員会に問い合わせてみたところ、郷土資料は湘南台にある「総合市民図書館」の調査研究室に集められていると紹介された。何か手がかりを得ることができるかもしれない。
「総合」という響きに期待も高まる
「影取池の大蛇」の話を、影取町と鉄砲宿という地名のおこりだとするのは戸塚区郷土誌編さん委員会編による『戸塚郷土史』(1968<昭和43>年/戸塚区観光協会刊)と川口謙二著『書かれない郷土史』(1960<昭和35>年/錦正社刊)。「広報よこはま戸塚区版」のコラムにあった内容とほぼ同じである。
歌川広重『東海道五十三次』より「藤沢宿」
だが、藤沢在住の人が寄稿する、藤沢市中央図書館編集・刊行の『わが住む里』では、大蛇は松並木の上におり、猟師は鉄砲でなく弓で射殺したことになっていた。
また、季刊雑誌の『新藤沢』(1967<昭和42>年創刊)に載っている『蛇の話』でも「鉄砲宿の松並木に大きな蛇が住んでいて旅人の影をのむ」話が「いつとなく」伝わり、その蛇も「今は誰かに殺された」と話を結んでいる。池も鉄砲も出てこない。共通するのは「影を取る蛇が退治された」モチーフのみ。これが当初の影取り蛇伝説の骨子なのかもしれない。
確かに、分間絵図でも松並木が描かれている
庶民でも社寺参詣という名目で気軽に旅ができるようになったのは江戸時代以降。東海道ブームは18~9世紀以降に何度か到来する。伝説が生まれた年代は、さかのぼってもこのあたり、宿場町として藤沢が栄えていたころ、街道をゆく旅人たちによって伝えられたのだろうと推察される。鉄砲宿が蛇を撃った鉄砲と結びつけられたのは、影取り蛇伝説が語られるようになったころより後の世のことになるだろう。
「鉄砲」のつく地名はまだそこに
ところで、郷土資料をさがしているところ、藤沢にも「鉄砲」がつく場所がかつてあったことがわかった。
『藤沢の民話』(藤沢市教育文化研究所刊)より
大正のはじめくらい、宝泉寺(藤沢市遠藤)の近くにあった馬場は、その距離の短さから「鉄砲馬場」と呼ばれていたという。コースが周回でなく、鉄砲と同じで「行ったきり」だからだそう。また、鉄砲の弾が真っ直ぐ飛ぶことから「鉄砲」には真っ直ぐという意味もある。街道沿いの細長い真っ直ぐな集落に「鉄砲」の名がつく場合がある(例:練馬の関村<現在の練馬区関町>の小名、鉄砲塚など)。
戸塚の「鉄砲宿」も、もしかしたらそんな言葉遊びが由来に潜んでいるのかもしれない。
現在の鉄砲宿付近。真っ直ぐといえば真っ直ぐだが・・・
取材を終えて
鉄砲宿の由来は、影取池にいた大蛇を撃った場所(戸塚の伝説)、鉄砲の練習場所があった(影取諏訪神社説)と諸説あるが、いずれも口伝で文献上には何も記されていない。どれが正解という答えは出せないが、往時の東海道をいく旅人たちが語った伝説に思いを馳せてみてはいかがだろう。
―終わり―
mimichanさん
2014年04月18日 19時49分
民間語源説は、面白いが間違いも多いので、地名は科学的に研究すべき。
ス。さん
2014年04月17日 14時22分
茅ヶ崎にも「鉄砲道(通称:鉄砲通り)」があります。途中にある明治の歌舞伎俳優・市川団十郎の別荘跡地は「団十郎山」と呼ばれており石碑と案内板も。鉄砲道はまっすぐなので、富士山が見える場所も何カ所があります。戸塚の鉄砲宿も名前は知っておりましたが、東海道沿いには歴史から名付けられた小さな名所が他にも色々ありそうですね。