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ギネス記録を持つ横浜在住のシャボン玉アーティスト「杉山兄弟」について教えて!

ココがキニナル!

世界で初めてシャボン玉ショーをやった(?)、横浜在住の「杉山兄弟」を取材してください。(山下公園のカモメさん)

はまれぽ調査結果!

杉山兄弟は戸塚区在住のシャボン玉アーティスト。ギネス記録も持ち、シャボン玉ショーは大変な歓声に包まれる。

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ライター:松崎 辰彦

シャボン玉アーティスト・杉山兄弟

杉山兄弟─杉山弘之(ひろゆき 66歳)、輝行(てるゆき 64歳)の兄弟は、世界有数のシャボン玉アーティストである。

 

下から杉山弘之、杉山輝行の各氏(画像提供:杉山プロモーション)
 

横浜出身で、現在も兄弟そろって戸塚区の同じ敷地内で生活している。まさに運命共同体といっていい。
 
そのシャボン玉ショーは華麗にしてファンタスティック。子どもの遊戯などという範疇(はんちゅう)を超えて、すべての老若男女に感動を与える。

 

 

杉山兄弟のシャボン玉ショー(画像提供:杉山プロモーション)
 

直径2メートルの巨大シャボン玉は、1983(昭和58)年にギネス記録に登録された。

 

ギネス認定書(画像提供:杉山プロモーション)
 

輝行さん開発のバブルマシンは、毎分100万個のシャボン玉を放つ。そしていくつものシャボン玉を組み合わせてさまざまな形を作るシャボン玉アートは、幾何学的な美しさに満ちている。

 

 

 

美しいシャボン玉アート(画像提供:杉山プロモーション)
 

二人が初めてシャボン玉ショーを行ったのは今から45年ほど前。NHKが調べたところ、当時はまだシャボン玉ショーをやる人はほかにおらず、世界初のシャボン玉ショーだった。
 
幼児・児童の遊びでしかなかったシャボン玉を、大人の鑑賞に耐えるエンターテイメントにまで発展させた杉山兄弟だが、シャボン玉ショーのほかにアイドルのコンサートの演出や、企業の商品発表会の効果なども手がけ、まさにシャボン玉の第一人者として活動している。
 
シャボン玉に関してほかの追随(ついずい)を許さず、孤高の道を行く二人に注目した。  
 
  
 

シャボン玉に魅せられて



「子どものころ、うちのおじいさんがシャボン玉を吹いてくれたのがすごくきれいで、それ以来シャボン玉に魅せられました」

 

弟、杉山輝行さん
 

こう教えてくれたのは、弟の杉山輝行さん。シャボン玉を作って飛ばすバブルマシンをはじめ、ステージで使用する機械は、すべて少年時代から発明が得意だった輝行さんが開発している。

 

少年時代の杉山兄弟(画像提供:杉山プロモーション)
 

 

輝行さん開発の機材。ほとんどが手作り
 

シャボン玉との出会いは、二人の幼少期。おじいさんが麦わらでシャボン玉を吹いていたのを見て、きれいだなと感動し、自分たちも大きなシャボン玉を作ろうと試行錯誤をしたのが始まりという。ハチミツや山芋を混ぜるなど、いろいろ工夫し、独自の発見を積み重ねたそうである。

 

杉山兄弟の著書(画像提供:杉山プロモーション)
 

とくにシャボン玉に魅せられたのは弟の輝行さんだったようで、工作好きだったこともありシャボン玉を作る機械を種々考案し、ときに高い評価を得たことから、シャボン玉を一生の仕事にすることを夢想した。

 

杉山兄弟のシャボン玉ショー(画像提供:杉山プロモーション)
 

「大きなきっかけになったのは1965(昭和40)年に『アイデア買います!』という素人参加番組に出演して、シャボン玉に関する発明品を披露したことです。審査員だった詩人のサトウハチロー先生が、テレビ局のトイレで私に『世の中は細かいお金を稼ぐ人ばかり多いけど、シャボン玉は夢があっていいね』といってくださったんです。そのときボクは高校生でしたが、“ああ、先生もそんなに感動してくれるのならシャボン玉をやろう”という気持ちが湧きました」

 

迫力あるシャボン玉が杉山兄弟の特徴(画像提供:杉山プロモーション)
 

『アイデア買います!』にはその後も参加して、何回か優勝し、賞金を手にした。
 
「4千円とか5千円でしたが、そのお金で新しい機械を開発し、大学の文化祭でシャボン玉を披露しました。大学ではヨーロッパ文明を専攻しましたが、実のところ4年間をシャボン玉に費やしたくて入ったようなものでしたから、勉強などほとんどしないでシャボン玉を作っていました」

大学の文化祭でシャボン玉を披露し、人々が笑顔になるのを見て、輝行さんは生涯をシャボン玉に賭ける決心がついたようである。大学卒業後も就職せず、アルバイトをしながらシャボン玉作りに打ち込んだとのこと。

一方、兄の杉山弘之さんは大学卒業後、大手自動車メーカーへ就職したが、輝行さんがシャボン玉に魅せられているのを見て、入社4年にして会社をやめ、弟とともに独立する。

 

兄、杉山弘之さん
 

「昔は学校を出るとどう生きるかは、大体決まっていました。企業に就職したら定年までそこで過ごすのが当り前でした。しかし、ボクは脱サラをして新しい仕事を作ったんです。今でいうベンチャービジネスです」

もちろんご両親は心配したが、弘之さんの優れた経営手腕もあって、杉山兄弟はシャボン玉名人として世に知られるようになる。テレビに出演するほかにも歌手のコンサートや車の発表会で、大小さまざまなシャボン玉を作り上げて雰囲気を盛り上げるなど、シャボン玉の演出家としても活動の場を広げた。

 

シャボン玉に関しては他の追随を許さない(画像提供:杉山プロモーション)
 

すでに45年にわたるキャリアを誇るという杉山兄弟だが、シャボン玉にかける情熱は衰えることなく、現在も新しい演出、新しいシャボン玉の開発に余念がない日々を送っている。