お地蔵さんを背負って町内をまわる!? 江戸時代から伝わる風習「廻り地蔵」ってなに?
ココがキニナル!
お地蔵さんを町内で回してゆく、「まわし地蔵」という民間信仰が泉区と港北区にあるそう。どんな風習なのか、くわしく知りたい!(紀洲の哲ちゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
廻り地蔵は江戸時代からの風習で、30kgのお地蔵さんが入っている背負い式お堂を子どもの成長を祈願し、地域の家を順番に廻すもの。
ライター:大和田 敏子
お地蔵さんというのは、道端に立っているものだとばかり思っていた。「まわし地蔵」というのは、その常識をひっくり返すもので、全く想像がつかないのだが・・・。
インターネットで少し調べてみると、「廻り地蔵」という呼び方が一般的なようで、2013(平成25)年、横浜市無形民俗文化財に指定されていることが分かった。
この風習、一体どのようなものなのだろう。町内でまわす地蔵というのは、どんな形、どのくらいの大きさ? その目的は?・・・疑問は尽きない。
そこで、この風習に詳しい泉区下飯田町東泉寺(とうせんじ)の住職、関水俊道(せきみずしゅんどう)さんを訪ねることにした。
市営地下鉄「下飯田駅」で下車
周辺は緑豊かな農業地帯
徒歩10分ほどで、東泉寺に到着
お話してくださった東泉寺住職、関水さん
廻り地蔵の歴史、現状は?
廻り地蔵は、江戸時代に全国的に流行った風習で、神奈川県でも広く行われていたという。藤沢市、大和市、秦野市、伊勢原市などでは、今でもかなりの地域で残っており、特に、この風習の元となったと考えられる保国寺(ほうこくじ)のある伊勢原市では、市役所を中心として盛んに研究が行われているそうだ。
横浜市で廻り地蔵の風習が残っているのは、泉区下飯田と鶴見川流域(緑区白山町、都筑区池辺町、港北区新羽町)の計4ヶ所のみで、2013(平成25)年、横浜市無形民俗文化財に指定されている。
廻り地蔵については、詳細が分かっていない部分もあるようだが、下飯田地区での廻り地蔵を中心に、関水さんに教えていただいた。
その始まりは、江戸中期までさかのぼる。保国寺には、1762(宝暦12)年、地蔵尊大像(親地蔵)と小さな地蔵(廻り地蔵)100体が作られたという記録がある。当時、厄病や飢餓によって、あまりにも多くの子どもが亡くなることに心を痛め、子ども達の健全な生育を願って作られたものだという。
「この下飯田地区や、鶴見川流域のものも、その100体の中の一つだと考えられます。横浜市内のそれ以外の地域では、すでにお地蔵さまを廻す担い手が減り、お寺やお宮に納められているところがほとんどのようです」と関水さんは話す。
保国寺親地蔵、下方にあるのは小地蔵(画像提供:東泉寺)
子どもの無事成長を祈願するための小さなお地蔵さまを持って、地域内の家を順番に廻し、それぞれの家で数日間祀ってお参りするのが、廻り地蔵という風習だ。
下飯田地区では、細長い地域を上り下って往復するような形でお地蔵さんを廻す。ほとんどが古くからの農家だそう。約70軒を回るのに1周、約2年かかるという。
お地蔵さまを迎えた家では、毎日、お茶やご飯をお供えし、線香をあげる。お寿司やおだんご、おまんじゅうなどを作ってお供えする家も多いという。お地蔵さまのお世話をするのは、その家の女性だ。
ほかの地区(大和市福田)の家庭でのお参りの様子(画像提供:東泉寺)
1軒にお地蔵さまが置かれる日数は、特に決まっていない。平均すると5、6日のようだが、土日に子どもがお休みの時にごちそうを作ってからとか、嫁いだ娘が子どもを連れて帰って来るのを待つために延ばしたりなど、各家庭の事情によって違い、1ヶ月位置いて大事にお祀りする家もあるそうだ。